1972年当時の有名人は、あさま山荘事件をどう見ていたのか

※書きかけのまま放置していたのですが、本日であさま山荘事件(検挙)から50年でもあり、追記した上でまとめました。なお、TVOD『政治家失言クロニクル』P-VINE)でも、本書をもとにした話をしているので、関心を持たれた方はぜひ、手にとってみて下さい。

 

以前の記事では、1968年以降の時代について触れました。当時は「スチューデント・パワー」なんて言葉もあったように、若者が主役の時代だったといえます。そんななか常々気になっているのが、同時期の「大人」はそんな若者たちをどう見ていたのだろうか、ということです。そのヒントになってくれそうな本を古書店で発見しました。『週刊現代』増刊、3月21日付「連合赤軍事件」緊急特集号です。

このなかに「日本の100人はテレビ棧敷でこう見た」という記事があります。「あさま山荘事件」について、各界の有名人100人からのコメントが列挙されているもの。ここから当時の世情を読み取ることができそうです。今回はここに掲載されたコメントと、各々のその後の活動を紹介することで、当時のリアルな雰囲気と、以降の時代を浮かび上がらせたいと思います。

 

記事タイトルにあるように、多くの人が「テレビ」を介してあさま山荘事件を体験したとコメントしています。「テレビ棧敷」というのは当時一般的な用法だったのでしょうか? みんなが事件の「観客」であったことが強調されるような表現です。

 

ここで重要なのが、この本が刊行されたタイミングです。ここで手元のパンス年表を取り出して確認しますと……連合赤軍メンバーが山荘に立て篭もったのは1972年2月19日。制圧されたのが2月28日です。この時点では凶悪な立てこもり犯が逮捕されたという出来事でしたが、事件前に起きていたメンバー同士によるリンチ殺人事件、いわゆる「山岳ベース事件」が明らかになるのは3月以降。『週刊現代』増刊は3月21日付なのでその1週間前くらいには店頭に並んでいたはずですが、おそらく急遽差し込んだであろうリンチ事件に関する詳報は別記事となっており、100人のコメントはそれ以前に収録されたようで、立てこもりとその制圧についてしか触れられていません。

 

以下、各界の人々によるコメント抜粋です。見出しのカッコ内と肩書は掲載誌に準じています。本文カギカッコ内太字が引用です。

 

赤軍は採用しない」江戸英雄(三井不動産社長)

採用しないのか……と一目で分かる見出しです。しかし、「私の会社では学生運動に参加した者でも採用している」とのこと。彼らは「組合運動はやるし、給料をあげろといってくるが、現実をふまえて行動している」と評価しています。労組の勢いが十分にあった時代だったのがよく分かります。この状況が80~90年代には縮小していきます。

 

「もう寄付はしない」北杜夫(作家)

「以前から、特に成田空港の頃から学生たちから寄付なんかを求められていました。」応援のために積極的に寄付を行っていたそうですが、「土田さんの事件」を境にやめたそうです。「土田さんの事件」とは、前年12月に起こった、警察庁に爆弾小包が送られたというテロ事件。この頃の学生運動は徐々に爆弾テロに傾斜しており、このように、良心的な人々からの支持を失う要因となっていきます。

 

「残念な殉職」田中角栄通産大臣

「三分の理もない」福田赳夫外務大臣

「外国人ではない事を」三木武夫自民党代議士)

キューバではない」中曾根康弘自民党総務会長)

政治家も登場しています。この4人は全員、激烈な派閥争いのなかで70~80年代に首相経験者となりました。いち早く、この年「日本列島改造論」をブチ上げて首相となる田中角栄「法により厳正な処分を受けるべきである」と普通のコメント。三木武夫の見出しはどういうことだ!? と思ってしまいますが、犯人が外国のテロリストなどではなく、この日本社会で生み出された者たちなのだと痛感するべきだ、という主旨です。中曽根はチェ・ゲバラと比較し、南米などで起こっていた武装闘争という方法論をこの日本の社会に適用すること自体が夢想的で、主観主義の現れでしかないと批判しています。内容への賛否はともかく、いまの自民党政治家の頭脳では到底不可能そうなとこまで切り込んではいます。

 

毛沢東とは違う」市川誠(総評議長)

総評(日本労働組合総評議会)とは、今では顧みられることも少ないですが、1950〜1989年まで日本の労働組合ナショナルセンターとして強い存在感を持っていました。「学生をあそこまで追いこんでしまった政治を問題にしなければならない」としつつ、赤軍派毛沢東理論はほんとうの毛沢東理論とは違ったものである」と中国に擁護的に言及しているのが気になります。当時の日本における文化大革命の解釈についてはこれから調べたい課題のひとつ。

 

「極悪犯罪人である」石原慎太郎参議院議員

連合赤軍の行動は何も生みはしない。それに対して公害問題での市民の告発は、たとえば環境庁を作らせた」と言っています。前回の記事にも書いた通り、当時の公害問題に対する市民運動は着実な成果を上げていました。それに比べて連合赤軍は、という主旨ですが、お前が言うなって感じです。この数年後に石原慎太郎環境庁長官になりますが、水俣病の患者に暴言を浴びせて謝罪しています。

 

「親の過保護に責任」曽野綾子(作家)

「大学生の甘ったれ。これも親の子供に対する精神的保護の結果でしょうね」などなど。2010年代に老人や被災者に対する問題発言で話題になった作家ですが、基本的にこの頃からあまり変わってはいません。ここ20年ほどで自己責任論が普及したのも、それまでの社会で培われてきた通俗道徳(働かざるもの食うべからず的な)との相性の良さに起因していると考えているのですが、それをよく表しているとも思います。

 

「若者を甘やかすな」山口瞳(作家)

「だだっ子のような、単純で幼稚な行動では、人民を味方につけることはできませんよ」。こちらも「甘え」に原因を求めるパターン。『江分利満氏の優雅な生活』など、軽妙なエッセイで人気作家だった山口瞳。今でも古書店で気軽に手に入り、昭和の生活者のスタイルを知ることができます。

 

これらのコメントや他に掲載されている記事でも、「親の責任」にする論調は強めで、連合赤軍幹部の植垣康博の親にはインタビューも敢行。ちなみに弘前大学時代に植垣と交流のあった安彦良和はのちに「ガンダム」を生み出します。安彦良和による『革命とサブカル』という本で二人は再会して対話をしており、必読です。

 

「なにかむなしい」戸川昌子(作家)

「テレビを見ながらこれから、学生運動の低迷がはじまるんじゃないかしらと、なにかむなしさを感じましたね」この時点にして的確な指摘。戸川昌子はミステリ作家にしてシャンソン歌手。運営していた「青い部屋」は三島由紀夫川端康成も来ていたサロンで、渋谷に移ってからもクラブやシャンソンバーとして2010年まで続いており、学生時代とかよく行きました(友達がよく出てた)。かっこいい場所だった。

 

「ああイヤだ」遠藤周作(作家)

「今度の事件は、体制側にいろいろな法律を作らせる口実になる」『海と毒薬』、映画化もされた『沈黙』など、骨太でありながら広く読まれる作品を送り出していた遠藤周作。弾圧をもたらす結果しか生まないとして「反体制側の学生諸君は、このことを真剣に考えてほしい」と。「残った後釜のリーダーたちは(……)これからは数カ所で同時的に起こそうとするにちがいない」とも言っている。組織は違えど、それは半ば現実となったとはいえる。

 

「違うテレビと現実」三好徹(作家)

「千ミリの超望遠カメラで、八時間も十時間も映したところで、結局、それは真実ではないということです。あくまで、事実の断片でしかないんだし、彼らの起こした行動をどうこうという以前に、あのテレビ画面をすべて真実として報道をうのみにしてしまうことのほうがむしろ恐ろしいと感じましたね」すでにテレビが家庭に定着した時代でしたが、ひとつの事件が何時間も中継され続けていたのは初の出来事であり、そこに対する疑問を投げかける意見もあります。

 

「どうする狼少年」安岡章太郎(作家)

「えんえん十時間にわたるテレビの実況中継を一つのドラマとして見れば、まさに勧善懲悪、悪漢滅びて善人栄える大団円のごとくであるが、現実の事態は決してドラマのようにメデタシメデタシで終わるものではありえない」遠藤周作と同時期に活躍した「第三の新人」の安岡章太郎も、テレビでの報道に疑義を投げかけています。

 

連合赤軍と連合国民」真鍋博イラストレーター)

「大事件にしたのは報道軍団であった。テレビから女性週刊誌までの連合マスコミ軍である」星新一の装画でもよく知られるイラストレーター。マスコミや人々の狂騒を問題視しています。

 

「世論操作を警戒」羽仁進(映画監督)

「何が、この事件のまわりに異常な熱気を生んだのか、それを冷静に考え直す機会をつくる必要があると思います。自分では正義感と思いこんでいるものが他人によって作られているとしたら、怖ろしいことなのです」こちらも冷静な意見。寺山修司脚本の『初恋・地獄編』など、ATG系の映画を撮っていた監督。同時期に父の羽仁五郎が著した『都市の論理』はベストセラーになり、吉本隆明と並び学生運動におけるイデオローグでした。

 

「ユーモアが足りぬ」サトウ・サンペイ(漫画家)

「あの事件とは対照的に、中国では赤と青ほどに対立するニクソン周恩来が、昔からの知己のように親密に話し合っていた」それは日本人と違ってユーモアがあるからだ、と。「政治でも論理でもない、本当の意味のユーモア」ちょっとよく分からないし、米中国交に至った国際事情は色々原因あると思うのですが、「ユーモア」で社会現象を切るというのは現在ほとんど見かけないアプローチで、新鮮に感じます。『朝日新聞』に連載した「フジ三太郎」など、この時代に定着した中産階級サラリーマンの生活をユーモアを交えて描いた漫画家。

 

「こんな大事件に」金井美恵子(作家)

「どうせ、皆さん、連合赤軍を批難しているんでしょ。かといって、カッコいいなんていうのもどうかしてるし……困っちゃう。」さらっとしたコメントですが、その後書かれた数々の批評を読むにつけ、この時点で「さらっとしている」ことに過剰な意味を読み取ってしまいそうになります。

 

「世直しのきっかけ」若松孝二(映画監督)

「ぼくは彼ら“連合赤軍“を支持する」コメントは不要かと。その後に至るまでブレないスタンスを貫き通しているのが分かります。2008年には映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を残しています。

 

「根性に驚いた」梶原一騎(作家)

「あれはすごかった。もうテレビに釘づけになって、仕事も手につかず、ドギモを抜かれる思いで見ていた。最近の学生に、あんな根性のある連中がいたとは、これは大変なことだと思ってね……」巨人の星」「タイガーマスク」などの原作者。事件を「根性ベース」で捉えた斬新な意見です。この2年前の「よど号ハイジャック事件」において、赤軍派が「我々は『明日のジョー』である」と、自身の作品(高森朝雄名義)を引用しているので、その辺りも意識しているのかもしれません。

 

「赤は昔からいた」横井正一(グアム島生還)

残留日本兵としてグアム島で発見され、一躍有名になっていた横井庄一。発見されたのがこの年の1月24日で、帰国が2月2日なので、この時点で時事についてコメントをもらうというのはだいぶ無理があるのだが、「ああいう悪いヤツがいるんですね。昔も赤軍はあったが、今は多くなったように思います」と語っている。当然というべきか、戦前におけるソ連赤軍とごっちゃになっていて、「ホラ、あの北海道の樺太からソ連に渡った俳優さんがいるでしょう。あれが共産党赤軍ですわねえ」とも。これは1937年、松竹の俳優だった岡田嘉子と、演出家杉本良吉がソ連に密出国するという事件を指しています。恋の逃避行として当時世間でも話題となったのが伺えます。

 

こうやって並べてみると、現代において何か大事件が起きたときの「コメント」に見られる要素が、この時点で出揃っていると感じます。テレビを通じて視聴者が事件を知り、あれこれと解釈するときのパターンの数々。異なるのは、昨今ではSNSがあるので、それらの解釈を無数の人々が提示してその中でも議論が沸き起こると言う点でしょう。梶原一騎の意見などは即座に炎上してしまいそうです。もっとも、梶原一騎だったら炎上しても全然気にしなさそうですが。

そしてやはりポイントとなるのは、これらのコメントがリンチ事件発覚前であるという点です。基本的には、殉職者が出てしまったのは無念だが、人質は無事で本当に良かった、彼らの行為自体に対しては、心情的には理解できるというトーンが多めなのが印象的です。しかしこの後に衝撃が走ったのは言うまでもなく、かつ、日本赤軍によるさまざまなテロ、東アジア反日武装戦線による爆弾闘争、そして各大学で繰り広げられる内ゲバ、など、学生運動自体が極めて危険で、公共の敵として忌避されるようになっていくのが一般的な状況ではありました。2022年の現在にあっては、その後の時代を生きた人たちが社会の中心となっており、記憶も風化していくばかりかと思われます。しかし、風化した後の時代の人々も同じような轍を踏んでいないか、繰り返していないか確認するためにも、過去の出来事にアクセスする意義はあると、僕は考えています。