コロナ禍に関する現状についての雑感

コロナウイルスについては不確定な要素が多すぎて専門家にお任せしたいという気持ちでいるのだが、やはりここまで長引いていると自分の心理的にいろいろと食らってしまうものもあり、素人考えながら雑感を記しておきたくなった。

 

こと日本において、今後の見通しが立っているようにはどうにも思えないのだけど、とくに気になっているのは、私権の制限について。このままのペースで感染者が増加したら、社会にかなり綻びが出てしまうと思う、という言い方だと曖昧だろうか。つまり感染したらお休みをしないといけないので、お店も休むし、会社にも行けない。そのパターンが増えているのは近所を歩いているだけでも分かる。かつ、もう1年半もさまざまな行動に対する緊張を強いられている。とにかく、そこについて政府はどう考えているのかがよく分からない。現状を見ると、一時的に社会機能を停止させるよりも、ほぼゆるゆるの状態のまま放っておいてワクチン一点突破で進めるという判断なのかなと思うけど、ということはそっちのほうが支障がないという試算があるのだろうか。ひと口に試算といっても、社会のなかには心理的な変化が及ぼす影響もあるし、何より生命じたいが問われているという状況なわけで、そこも含めて考えないといけないだろう。

 

政府にはせめてそのグランドデザインだけでも明らかにしてほしいのだけど、なぜ不透明なままにしているのか。ほとんどが不透明であるとは、言い換えると私たちはほとんど自由にされているということでもある。なぜか飲酒とその周辺にはやたらと厳しい措置が取られているが、それ以外の経済活動、生活についてはとりあえずのモラルを押し付けるくらいに留まっており、野放しにされているのでみんな自由に判断している。

 

自由に判断しているとは判断がそれぞれの人々に任されている(自己責任になっている)ということでもある。道筋すらあまり提示されていないので、自治体は自治体で、国民は国民でなんとか判断しながら堪えている。自由であるがゆえに、衝突も数知れず、日々論争が起こっている。フジロックフェスティバルにまつわる一連の流れを見ていてしんどいなあと思ったのは、全員がそれぞれに個人にとって、身の回りにとって最善な策をと判断しているのだが見解の違いによって引き裂かれてしまっているところだ。しかし、元を辿れば、上記したように自由にやってくれという国のメタ・メッセージ(とでも言えばよいか)があるからこうなっているだけであって、有り体に言ってしまえば本件に関しては誰も悪くはなく、悪いとすればそのように争うような結果を生み出している政府のみと考えた方がよいと思っている。コレ悪いだろという意見を一手に引き受けるために政府は存在しているし、そのために大きな権力を持っていると考えた方がよい。

 

※加えて言えば、政府のような権力を持っていない市井の人に対しても同じような力と気合いでパンチを喰らわせてしまったりするのはそれはそれで問題があるのだ。これはほかのさまざまな事象にも言えるのだけど、いまは、権力構造の認識、権力の「強さ」に対する認識がかなりボヤけた時代になっていて、これについては改めて書きたいところ。

 

いずれにしろ、去年イタリアのコロナ対策を受けて「例外状態」を作り出す世界を告発した(そして炎上した)ジョルジョ・アガンベンは、その逆をひた走るような日本政府の対応をどう見るのかななどと考えたりもした。

 

※最近聞かれなくなってはいるけれど「自粛警察」など、町内会の相互監視システムを応用しているという点では、かつての戦時に倣った日本流の「例外状態」なのかもしれないけれど。

 

そんなこんなだが、SNSを抜け出して年表に没頭しているのとひたすら調べ物をしている昨今である(どうにかこうにか、いろいろと準備しています。。)。しかしたまには気分転換したいものです。結論はそれに尽きる。