年表:安倍晋三 1954〜2022

*1954年9月21日

毎日新聞の記者であった安倍晋太郎と妻洋子の次男として東京都に生まれる

 

*1957年4月20日

岸信介NHKラジオ「総理大臣岸さんの茶の間を訪ねて」に出演

孫の晋三も出演

 

*1960年6月頃

新安保条約反対のデモに囲まれる中、両親と南平台の岸邸を訪れ、祖父と遊ぶ

 

*1970年

高校時代、70年安保を破棄すべきと述べる教師に反論

「中身も吟味せずに、何かというと、革新とか反権力を叫ぶ人たちを、どこかうさんくさいなあ、と感じていたから、この先生のうろたえぶりは、わたしにとって決定的だった」

(『美しい国へ』P21)

 

*1977年

成蹊大学法学部政治学科を卒業

渡米し、1978年から南カリフォルニア大学に留学

 

*1979年

帰国し、神戸製鋼所に入社

 

*1982年11月27日

父の安倍晋太郎外務大臣に就任(第1次中曽根内閣)

→晋三が秘書官を務める

 

*1986年7月22日

第3次中曽根内閣が発足:安倍晋太郎、党総務会長に就任

 

*1987年6月9日

森永製菓・松崎社長の長女で電通社員の昭恵と結婚式

 

*1987年10月

父の安倍晋太郎自民党幹事長に就任 →晋三が幹事長秘書となる

 

*1990年1月

安倍晋太郎ゴルバチョフが会談:晋三も同席

 

*1991年5月15日

安倍晋太郎、入院先の病院で死去:享年67

 

*1993年7月18日

第40回衆議院議員総選挙安倍晋三、初当選

 

*1994年4月28日

羽田孜内閣発足

この頃開かれた自民・社会有志による勉強会「リベラル政権を創る会」に参加

次の首班指名選挙では村山富市に投票

 

*1995年9月

自民党総裁選、小泉純一郎の推薦人となる

 

*1999年

衆議院厚生委員会理事に就任

自由民主党社会部会長も務める

 

*2000年6月28日

山口県下関市の後援会事務所の窓ガラスが割られ、屋内外に火炎瓶2本が置かれる

 

*2000年7月

内閣官房副長官に就任(第2次森内閣

 

*2001年4月

内閣官房副長官に就任(第1次小泉内閣

 

*2002年9月17日

小泉首相北朝鮮訪問:金正日総書記と会談し平壌宣言に調印

安倍晋三も同行、経済制裁など、強硬姿勢を示す

 

*2002年

第31回ベストドレッサー賞受賞(政治・経済部門)

 

*2003年9月21日

第41代自由民主党幹事長に就任

 

*2004年1月

安倍晋三岡崎久彦 『この国を守る決意』(扶桑社)刊行

 

*2004年9月27日

自由民主党幹事長代理に就任

 

*2005年1月12日

朝日新聞NHK番組に安倍自民党幹事長代理,中川経産相が介入と報道

 

*2005年4月

自民党、「過激な性教育ジェンダーフリー教育実態調査PT」設置

座長=安倍晋三

 

*2005年10月31日

第72代内閣官房長官に就任(第3次小泉改造内閣

 

*2006年4月

安倍晋三対論集 日本を語る』(PHP研究所)刊行

 

*2006年7月

美しい国へ』文藝春秋(文春新書)刊行

 

*2006年9月20日

第21代自由民主党総裁に就任

 

*2006年9月26日

臨時国会開会:第1次安倍晋三内閣発足

 

*2006年9月29日

所信表明演説で、集団的自衛権の「研究」に言及

 

*2006年10月5日

安倍内閣メールマガジン」発行開始

政府インターネットテレビ首相官邸Webサイトもリニューアル

 

*2006年10月8日

訪中し、胡錦涛国家主席と会談 →9日には訪韓盧武鉉大統領と会談

 

*2006年10月10日

閣議教育再生会議設置を決定

 

*2006年11月13日

「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」設置

:日本版国家安全保障会議NSC)について検討

 

*2006年12月4日

郵政民営化法案反対組」の衆院議員11人、自民党に復党

 

*2006年12月15日

改正教育基本法成立

 

*2006年12月15日

防衛省昇格法成立

 

*2007年4月

首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」設置

 

*2007年5月14日

国民投票法成立

 

*2007年5月28日

政治献金問題で追及されていた松岡利勝農水相が自殺:現職閣僚の自殺は戦後初

 

*2007年6月30日

久間防衛相、原爆投下について「しょうがない」と発言

 

*2007年6月30日

社会保険庁改革関連法成立

 

*2007年7月29日

第21回参議院議員通常選挙

与野党逆転し、民主党が初めて第1党となる →安倍首相は続投を表明

 

*2007年8月27日

第1次安倍晋三改造内閣発足

 

*2007年9月10日

臨時国会召集:所信表明演説

 

*2007年9月12日

緊急記者会見で辞意表明、翌日、慶應義塾大学病院に入院

 

*2007年9月20日

安倍内閣メールマガジン、配信終了

 

*2012年1月

公式Twitterアカウントを開設

 

*2012年9月26日

第25代自由民主党総裁に就任

 

*2012年11月14日

野田首相党首討論:野田が解散を表明

 

*2012年12月16日

第46回衆議院議員総選挙自民党が大勝

 

*2012年12月26日

第96代内閣総理大臣に就任、第2次安倍晋三内閣成立

 

*2013年1月10日

首相官邸Facebookページを開設

 

*2013年1月15日

閣議教育再生実行会議の設置を決定

 

*2013年1月

『新しい国へ ー美しい国へ 完全版ー』(文春新書)刊行

 

*2013年2月22日

オバマ米大統領と初の首脳会談:TPP交渉への参加を表明

 

*2013年4月19日

安倍首相、日本記者クラブで「成長戦略スピーチ」:アベノミクス第一弾発表

 

*2013年4月19日

改正公職選挙法成立:インターネット上の選挙運動を解禁

 

*2013年6月13日

改正障害者雇用促進法成立

 

*2013年6月14日

閣議アベノミクスの成長戦略と「骨太の方針」「日本再興戦略」を決定

 

*2013年7月21日

第23回参議院議員通常選挙

→自民・公明が過半数を確保、衆参両院の「ねじれ」解消

 

*2013年9月7日

アルゼンチン・ブエノスアイレスでのIOC総会で演説

福島第1原発事故の放射性物質汚染水漏れについて、「状況はコントロールされている」と述べる

2020年オリンピックの東京招致が決定

 

*2013年9月25日

ニューヨーク証券取引所での講演で「Buy my Abenomics」と述べる

 

*2013年10月1日

記者会見で、2014年4月に消費税を8%に引き上げると表明

 

*2013年11月27日

国家安全保障会議(日本版NSC)設置法成立

 

*2013年12月6日

特定秘密保護法成立

 

*2013年12月26日

靖国神社を参拝 →米国が「失望」を表明

 

*2013年12月

安倍晋三百田尚樹 『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック)刊行

第42回ベストドレッサー賞(政治・経済部門)受賞

 

*2014年2月13日

自民党の総務会において「最高責任者は私です。」と発言

 

*2014年3月21日

フジテレビ系「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」に現役総理大臣として初めて生出演

 

*2014年4月1日

消費税率の3%引き上げ(8%)を実施

 

*2014年4月

『日本の決意』(新潮社)刊行

 

*2014年5月30日

内閣人事局が発足:中央省庁の幹部人事を一元化

 

*2014年5月17日

東京・お台場の「マダム・タッソー東京」で、安倍首相の等身大ろう人形の展示が開始

 

*2014年6月30日

フィナンシャル・タイムズ紙に「私の『第3の矢』は日本経済の悪魔を倒す」と題した論文を寄稿

 

*2014年7月1日

政府、集団的自衛権の行使容認を閣議決定

 

*2014年11月18日

2015年10月に予定されていた消費税率再引き上げの1年半延期と衆院解散を表明

衆議院解散(アベノミクス解散)

 

*2014年12月14日

第47回衆議院議員総選挙

 

*2014年12月24日

第3次安倍内閣が発足

 

*2015年1月

中東を訪問 →イスラム国による日本人殺害予告を受け、前倒しで帰国

 

*2015年2月19日

衆議院予算委員会で「日教組はどうするんだよ」などとヤジ

 

*2015年3月20日

参議院予算委員会自衛隊について「わが軍」と発言

 

*2015年5月28日

衆議院平和安全法制特別委員会にて辻元清美の質疑中に「早く質問しろよ」「大げさなんだよ」とヤジ

 

*2015年6月10日

改正防衛省設置法成立

 

*2015年7月17日

新国立競技場建設計画を白紙撤回と表明

 

*2015年8月14日

戦後70年の「安倍談話」閣議決定

 

*2015年9月5日

安倍昭恵総理大臣夫人が森友学園の塚本幼稚園で講演

開校予定の「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長に就任

 

*2015年9月11日

改正労働者派遣法成立

 

*2015年9月19日

安全保障関連法成立

 

*2015年9月24日

記者会見で「アベノミクス第2ステージ」「新・3本の矢」を発表

 

*2015年10月7日

改造第3次安倍内閣発足:一億総活躍担当大臣を新設

 

*2015年11月2日

日韓首脳会談:朴槿恵大統領と、慰安婦問題の早期妥結で一致

 

*2016年1月29日

日本銀行の黒田総裁、マイナス金利導入を決定

 

*2016年3月22日

政府の「まち・ひと・しごと創生本部」、文化庁の京都移転を決定

 

*2016年5月16日

衆議院予算委員会で自身を指して「立法府の長」と発言

 

*2016年7月10日

第24回参議院議員通常選挙

 

*2016年8月3日

第3次安倍再改造内閣発足:働き方改革担当大臣を新設

 

*2016年9月1日

ロシア経済協力相を新設:世耕弘成経産相を任命

 

*2016年11月15日

政府、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)で、安全保障関連法に基づく「駆けつけ警護」を閣議決定

 

*2016年11月17日

米ニューヨークで安倍首相とトランプ次期米大統領が会談

 

*2016年12月27日

オバマ米大統領と、ハワイ・オアフ島真珠湾で慰霊演説

 

*2017年2月9日

朝日新聞(大阪本社最終版)、森友学園問題に関する報道開始

 

*2017年2月17日

森友学園問題について「自身や妻昭恵氏が国有地売却に関与していれば議員辞職する」と答弁

 

*2017年3月13日

参議院予算委員会社民党福島瑞穂加計学園疑惑に関し質疑

 

*2017年5月17日

朝日新聞加計学園獣医学部新設をめぐり、「総理の意向」文書が文科省から判明と報道

 

*2017年6月15日

共謀罪」を盛り込んだ改正組織的犯罪処罰法が成立

 

*2017年7月1日

東京都議会議員選挙の応援演説で、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言

 

*2017年8月3日

第3次安倍改造内閣発足

 

*2017年9月28日

第194臨時国会の冒頭で衆議院解散:「国難突破解散」と命名

 

*2017年10月22日

第48回衆議院議員総選挙:自民が圧勝、立憲民主も野党第一党に躍進

 

*2017年11月1日

第195特別国会召集:安倍首相が再選され、第4次安倍内閣発足

 

*2017年11月6日

トランプ米大統領が初来日:安倍首相と会談後、北朝鮮による拉致被害者の家族と面会

 

*2017年12月15日

Instagramアカウントを開設

初投稿は「笑っていいとも」出演時のネームプレートの写真

 

*2018年2月9日

韓国・平昌で日韓首脳会談

 

*2018年4月9日

政府、黒田東彦日銀総裁を再任

 

*2018年5月23日

財務省、佐川氏が「廃棄した」と国会答弁していた森友学園との交渉記録を公表

 

*2018年6月13日

改正民法が成立:成人年齢を18歳に引き下げ

 

*2018年6月29日

働き方改革関連法案が成立

 

*2018年11月14日

安倍首相、シンガポールプーチン大統領と会談

→1956年の「日ソ共同宣言」を基礎に平和条約交渉を加速化させることで合意

 

*2019年2月6日

参議院予算委員会にて「総理大臣でございますので、森羅万象すべて担当している」と発言し話題に

 

*2019年6月28日

G20大阪サミットにて「唯一のミスは大阪城にエレベーターをつけたこと」と発言

 

*2019年7月4日

政府、韓国に対し半導体製造に必要な3品目の輸出規制強化を発動

 

*2019年7月21日

第25回参議院議員通常選挙

 

*2019年8月2日

政府、韓国を輸出手続き簡略化の優遇措置を受ける「ホワイト国」から除外

 

*2019年9月5日

ウラジオストクで日露首脳会談

会談後、東方経済フォーラムに出席し、プーチン大統領を前に

「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている」

「ゴールまで、ウラジーミル、二人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」と訴え

 

*2019年10月4日

臨時国会召集:安倍首相、所信表明演説改憲論議は「国民への責任」と表明

 

*2019年11月20日

首相の通算在職が2,887日となり、桂太郎を抜いて憲政史上最長を記録

 

*2020年1月10日

官房長官、「桜を見る会」招待者名簿の廃棄をめぐり、公文書管理法違反を認める

 

*2020年1月28日

桜を見る会問題に関する質問に対し「幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」と発言

 

*2020年2月12日

衆議院予算委員会辻元清美に「意味のない質問だよ」とヤジ

 

*2020年2月27日

新型コロナウイルスを受け、全小中高校の休校を要請

 

*2020年3月13日

改正新型インフルエンザ対策特別措置法成立

 

*2020年3月24日

国際オリンピック委員会IOC)のバッハ会長と東京五輪の1年延期で合意

 

*2020年4月1日

マスク2枚の全世帯への配布を表明:「アベノマスク」

 

*2020年4月7日

新型コロナ感染者急増のため、7都府県に5月6日まで1ヵ月間の緊急事態宣言を発令

 

*2020年5月6日

ニコニコ生放送「安倍首相に質問!みんなが聞きたい新型コロナ対応に応える生放送」に出演

 

*2020年5月18日

政府・与党、一部の検察官の定年延長を特例的に可能とする検察庁法改正案の通常国会での成立を断念

 

*2020年8月24日

安倍首相の連続在職日数が第2次政権発足以来2,799日となり、歴代最長記録を更新

 

*2020年8月28日

潰瘍性大腸炎再発のため辞任表明

 

*2020年9月16日

安倍晋三内閣総辞職菅義偉内閣発足

 

*2020年12月21日

東京地検特捜部、「桜を見る会」の前夜祭をめぐり、安倍前首相に任意で事情聴取

 

*2021年6月

『月刊Hanada』8月号において桜井よしこと対談

反日的ではないかと批判されている人が五輪に反対」と発言

 

*2021年9月12日

世界平和統一家庭連合(旧統一協会)と天宙平和連合(UPF)が共同開催した「THINK TANK 2022希望の前進大会」に、ビデオメッセージを送る

 

*2021年10月19日

公式YouTubeチャンネル「あべ晋三チャンネル」を開設

 

*2021年11月11日

所属する細田派会長の細田博之衆議院議長に就任したため派閥に復帰、後任会長に就任

 

*2022年2月27日

フジテレビの番組『日曜報道 THE PRIME』に出演し、「核共有(核シェアリング)について議論していくことをタブー視してはならない」と発言

 

*2022年7月8日

11時30分頃、奈良県奈良市近畿日本鉄道大和西大寺駅付近で選挙演説を行っていた際に銃撃され、同日17時3分に死亡が確認される

 

*2022年7月11日

従一位に叙するとともに、大勲位菊花章頸飾を贈ることを決定

関係者による通夜が行われる

 

*2022年7月12日

告別式が東京都港区の増上寺で執り行われる

 

*2022年7月14日

岸田文雄首相、記者会見で、同年の秋に国葬を行う考えを明らかに

 

*2022年7月22日

政府、日本武道館で9月27日に国葬を行うことを閣議決定

 

*2022年9月27日

国葬日本武道館で行われる






 

 

 

 

 

 

 

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安倍晋三元首相の軌跡を振り返る年表を作成しました。

 

制作者:パンス

さまざまなテーマでの年表作成、近現代の文化/社会の研究を行っています。

政治家失言クロニクル(テキストユニットTVODによる共著)

年表・サブカルチャーと社会の50年(ポスター4枚組)

今日も相変わらず歴史の中に潜りたい

暗殺からの統一教会の件で、にわかに冷戦期日本の反共組織などに注目が集まっている昨今。国際勝共連合の結成は1968年。そこで想定されていた仮想敵は全共闘的なるものだった。現在、日本会議の事務総長を務める椛島有三長崎大学新左翼の学生たちとバトって1969年にに民族派の学生組織を作っている。『年表・サブカルチャーと社会の50年』を1968年から始めてるのはこの辺の裏テーマも込めてます。
さて、1973年、参議院議員自民党迫水久常の秘書を務めていた渡邉正次郎なる人物が、関東の暴走族を糾合して反共集団を作ろうと目論んでいたそうだ。当時都内で幅を利かせていた「極悪」というグループが声をかけられ、新宿の風林会館で会合を持ったそうだが、結局「極悪」は離脱。しかし「関東連合」なるワードはこの時期に発生していると考えられる。のちの暴走族が右翼的なアイコンをファッションに取り入れるようになったことにも影響関係があるのだろうか。
※さっき久田将義関東連合』(ちくま新書)を読み返してての発見であった。この辺りの系譜を詳しく追った本があったら読みたい! 教えてください。
 
歴史を知る醍醐味は、同時期に複数の全然違う出来事が後につながったり、もともと一体だったものが離れて今では全然別のものとして認知されていたりなどといった、無数の流れを知ること。その楽しさにハマると、「世界(もしくは日本)はひとつの悪の組織に支配されている」的な観念は正確でないことが分かるし、そもそもそのような観念に依拠すること自体がひどく退屈だと思えるようになる。
むしろさまざまな流れや偶然性によって左右されてしまうからこそ、世界というものはタチが悪い。そのタチの悪さに斬り込むために歴史に潜り込むのだが、パッと見あまり有効ではなさそうに見えるし、人目につかないので、注目されない。それでも構わないというところから始めたい。
今回の件で言えば、やはりずっと問題を追っかけてるジャーナリストの人たちはすごい。現場で発揮する力はもちろん、当然歴史にも精通している。改めて、尊敬してしまう。隠され、無視され、ごまかされていることを、ネットの波に流されずに正確に暴く、ジャーナリズムの力が試される時代に突入したと思う。
 
 
 
 

ずっと続くいやな予感(の中で何を書けばよいのか)

高橋和巳のエッセイに「暗殺の哲学」というタイトルのものがあったと思い出し、早朝から本棚を漁って読み返していた。司馬遷カミュドストエフスキーなどを引きながら暗殺とは何かを問うが、最後に一行「この稿には何らの結論もない。」と記して締められているのでわりと驚いてしまう。しかし学園紛争の高揚するまさにその時(『文藝』1967年6月号所収)に書かれたものであると確認し、「そうだよな」と納得してしまうのだった。アクチュアルな状況に遠くから切り込むとしたら、まず結論など出ない。

 

昨日の時点でTwitterのタイムラインから雲散霧消してしまったサイゼリヤの件などを思い出しながら、改めて自分が気になる点は2つの流れに大別されるだろうと頭の中で整理していた。まずは、とにかく結論を急ぐ傾向。そして、生起した問題に対して議論めいたものがあった後に、何か一様に同じような思考のフレームがTwitter内で共有される傾向。しかも最近はこの流れが凄まじく早くなっており、だいたい2時間くらいで形成されている気がする(個人的な体感)。

 

破局的な出来事があったときに即時的に何かを言いたくなってしまうのは僕もそうで、以前はエイヤっとばかりに書いてしまうこともあったのだが、ここ1年ほどは上記のような流れに閉口しているのもあり、あまり書けなくなってしまった。それぞれがポジションを取ることで空気ができて何となく構図が浮かび上がりそれが「世論」であるといわんばかりの状況になる。これは日本特有かどうかは分からないけれども、少なくとも日本の学校の教室みたいなものだと思えてならず、教室の外だけど教室から見える廊下みたいな場所でせめて何か残しておこうと判断したときにブログを書くのだった。

 

何について書きたいかというと無論、昨日の元首相殺害事件であって、まだ情報が少ないので書けることも限られるのだが、個人的なテロである可能性は高いだろう。そして政治犯ではない、という線になっている。元首相は2010年代の長い間一国の長を務めており、それによる日本社会の変化はさまざまな人々がネットなどで大いに語ったし、今でも語られるわけだが、そのような議論からは遠く離れた場所、もしくは底流と呼べるようなところで、全くもってイデオロギーとも縁がない、敵も同志も何もない、孤独なテロが頻発しているのがここ数年である。

実のところ私たちはその事実にすでに気付いており、電車に乗るときとかにうっすらと意識することもありつつ、何となくやり過ごしながら日々を暮らしている。アメリカの銃社会を嘆きつつ、日本社会も銃が普及していないだけで水位は同じようなものかもしれない。そして今回は手製の不格好な銃が使われた。そのような現実について考えることが、現代の社会を捉えることだと思うのだけど、「犯人は自分達とは関係ない」とばかりに切断し、結論を急ぐような仕草が氾濫しているようにも見受けられ、やはりそれが引っかかる。

 

※まだ動機の全容は分からないものの「特定の宗教団体」というワードが登場している。「特定の団体」と表記している記事もあり。この点に関しても現時点で明記しておく。

2022.3.23 ゼレンスキー演説

ゼレンスキー大統領の国会演説を観る。ネットなどで懸念されていた諸々の外交問題や歴史には触れない、穏当な内容だったと言ってよいだろう。

 

日頃カルチャー批評のようなことをやっていると陥りがちなのが、「日本人の特性は●●で〜」と断定的な日本人論をやってしまうことで、あまりそうならないように気をつけているつもりなのだが、ある一国の長が他国の国民に向けて何かメッセージを投げかけるならば、当然その国の特性のようなものをある程度分析、配慮していると考えるのは妥当だろう。というわけで外国からの目線で「日本人はこのように捉えられているんだな」と納得させられるようなところはあった。

 

それはどういうものかというと、先日のドイツと比べてみれば分かりやすいのだが、日本人に向けては「全然煽ってこない」という点で、少し前の「真珠湾攻撃」の時に顕著に現れていたように、はっきりした歴史的な出来事を出すと妙にセンシティブな反応が返ってきてしまうのをよく理解した上で練られていた。そんなわけで、出来事の名称を出さず、かつ現代の日本人が共有しているである記憶をキーワード単位でちりばめているところが、サンプリングっぽい方法論だな、、と思った。

 

自分などはついつい日本インターネットの世界観で物事を捉えてしまいがちで、ネットだけ見ていると左右問わず急進的な意見ばかりが目立ってしまうのだが、その外には広大な人々の世界が広がっているわけで、ゼレンスキー的には当然、それら全体にまで届ける必要がある。そこで導入されたのが、具体的(つまり、政治的)なアプローチを避ける、共感ベースの言葉であったことをどう考えればいいのだろうか。そして、現存しているこの感情や共感でできた共同体があるとすれば、これからどこに向かっていくのだろうか。

 

2022.3.19

日本共産党の議員の人がTwitterにて、ロシアで反戦を唱えたアナウンサーを讃えて「真の愛国者」だ、と書いていて、一瞬「うわっ」となってしまったのだが、よくよく考えれば、戦後(1960年代以降)の日共は民族自決、自主独立路線だった(わざわざ共産党オフィシャル・サイトまで行って綱領も確認してしまった)。現行インターネットリベラルにとっては人民戦線のようなインターナショナル路線を想起させられるのかもしれないが、それは戦前の話であって……、

 

とか、そんなマニアックな話をするのに何の意味があるのか、今は非常時であるのに、などといった言葉こそにノーを突きつけたい。それが自分にとっての「反戦」だ。毎日毎日一応インターネットからテレビまでチェックしているのだが、「反戦」を抑圧する言葉の気配は今や各メディアはもとより市井のインターネットリベラル、各種Twitter政治学者にも感じる。「平和の論理と戦争の論理」(久野収、1972年)からやり直さなければならないのだろうか? 

 

事態はかなり際どいところに来ていると思う。その「際どさ」は世界中で展開しており、ロジックやイメージによって促されるようなものでもなく、もっと身体的だ。要するに、指先でクリックした先にある。例を挙げるならば、いま『ウクライナ・オン・ファイヤー』とGoogleの検索窓に入力したら『ウィンター・オン・ファイヤー』の情報ばかり出てきた。えーと、紛らわしいのだが、前者はオリバー・ストーンが監督で、ロシアのプロパガンダなんじゃないかとも言われており、後者はNetflixでいま見ることができる、ウクライナの2014年マイダン革命のドキュメンタリーだ。前者の日本語字幕付きは現状ニコニコ動画でしか見ることができず、昨日は駐日ロシア大使館Twitterアカウントがニコニコのリンクを付けて宣伝するという珍現象まであった。

 

今日僕は部屋のレコードを片付けて、断捨離期間中ということで昔買ったミニマルハウスのレコードを40枚ほど下北沢で売却し、帰宅して要らない書類などを処分して、ヘトヘトになったので整理していたら出てきたマリン・ガールズのLPをかけながらグッタリと横になっていたけど起きて、Netflixの『ウィンター・オン・ファイヤー』を観た。そこで映し出されていたのはまさに「革命」以外の何ものでもなく、パリ・コミューンが存在した時代にビデオカメラがあったら記録されていたような映像がひたすら時系列で流れているのだった。機動隊による猛烈な弾圧に対抗し、バリケードを作り、タイヤを燃やして煙幕をはり、火炎瓶を投げる。実弾まで投入されるなか木製の板まで導入して盾にしながら広場から撤退しない市民。ドキュメンタリーはヤヌコーヴィッチ大統領が亡命し失脚するところで終わっているが、この後にロシアはクリミア半島に侵攻し、東部ウクライナでは内戦が起こる。日本からの風景としてはソチ・オリンピックで盛り上がったりしていた、その頃ソチからほど近い場所で起きていた話だ。

 

ひとりの女性が、バリケードの中に置かれたピアノでショパン「革命のエチュード」を弾いていた。かつて国土を蹂躙されたポーランドの作家の楽曲は、その後19〜20世紀を通して大国に翻弄され続けた東欧で、21世紀においても象徴的に鳴り響くのかと胸を突かれた。

 

そんな思いで観ていたのだが、僕にとっていちばん大きな感想は、自分にはこんな英雄的なことはできない、平和を希求することしかできない、という、極めて皮相でちっぽけなものだった。それが正直なところだし、限界だと思う。じゃあどうすればいいのか、いざというときはどうするのか、と問われれば、答えることができない。むしろこのあいまいで皮相な感情を、どのように理性的に、行動的に落とし込んでいくか、それだけが問われているのだと考えている。自分の思考を仕切り直さなければいけない。そのために書き続ける。まだ書くことはたくさんある。

 

2021.3.17

※2022ウクライナ侵攻に関してはたくさん書きたいことがあるのだけど、専門家でもない、一介の歴史好き、年表好きでしかない自分が何か書いたところで、床屋談義にしかならないことは自覚しており、少し足踏みしていた。けれど、床屋談義でも何か残して置いた方がいいのかもしれない、それもTwitterにポコポコと書いてツリーなんかにするよりは、ある程度の分量で、とも思い……。

 

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ゼレンスキー・ウクライナ大統領が米国議会向けの演説で真珠湾攻撃の話を持ち出したのが、日本人を微妙な気分にさせているようだ。Twitterだと、なんとなくウヨっている人に限らず、色んな人がモヤモヤしているのが見受けられる。

 

ゼレンスキーの言い分は特に奇妙なものではないだろう。まず、第二次世界大戦+太平洋戦争において、日本やドイツがかなり逸脱した行動を取り、結果敗北し、その後、敗戦国を否定した上での体制、秩序がなんだかんだでこれまで続いているなか、現在それを脅かしているのがプーチン・ロシアという見立ては間違っていないので、第二次世界大戦中(1941)に生起し、悲劇の象徴とされているパールハーバーになぞらえるのは実に妥当である。

 

そこで微妙な気分になってしまう日本人のアイデンティティがあるとすれば、実は日本人は戦後に形成された「連合国」による秩序の一員に入れてもらっているようでいて、どこかで折り合いが付いていないまま現代まで来ているということが浮き彫りになっているのではないだろうか。

 

しかし、ゼレンスキーは日本でも演説したいと言っているので、そのときは今回の発言とどう折り合いをつけるのかという疑問は湧く。日本に来たら日本人のアイデンティティを刺激するために原爆や空襲の話をするのか。そして(ないだろうけど)中国向けには満州事変の話をしたりするのか。それでは単に言ってる場所によって立ち位置がコロコロ変わる人ということになってしまう。そんなことはしないだろうとも思うけれど。

 

今回の件で問われているのはむしろ日本の方で、なんならかつては今のロシアと似たようなことをやってたのだから、まず日本人はそれをよく噛み締めておくべきなのである。戦後の国際秩序はそれが前提となっており、その恩恵を受けてここまで来ているのだから。

 

ただ、日本でゼレンスキーが演説するならば、この戦後の秩序という認識とどう折り合いをつけて話すのか、少し気になる。ましてや同じ枢軸国だったドイツではどうだろうか、などと考えていたら、もう今日の時点でドイツでは演説をしているようだ。内容はこれから確認したい。

1972年当時の有名人は、あさま山荘事件をどう見ていたのか

※書きかけのまま放置していたのですが、本日であさま山荘事件(検挙)から50年でもあり、追記した上でまとめました。なお、TVOD『政治家失言クロニクル』P-VINE)でも、本書をもとにした話をしているので、関心を持たれた方はぜひ、手にとってみて下さい。

 

以前の記事では、1968年以降の時代について触れました。当時は「スチューデント・パワー」なんて言葉もあったように、若者が主役の時代だったといえます。そんななか常々気になっているのが、同時期の「大人」はそんな若者たちをどう見ていたのだろうか、ということです。そのヒントになってくれそうな本を古書店で発見しました。『週刊現代』増刊、3月21日付「連合赤軍事件」緊急特集号です。

このなかに「日本の100人はテレビ棧敷でこう見た」という記事があります。「あさま山荘事件」について、各界の有名人100人からのコメントが列挙されているもの。ここから当時の世情を読み取ることができそうです。今回はここに掲載されたコメントと、各々のその後の活動を紹介することで、当時のリアルな雰囲気と、以降の時代を浮かび上がらせたいと思います。

 

記事タイトルにあるように、多くの人が「テレビ」を介してあさま山荘事件を体験したとコメントしています。「テレビ棧敷」というのは当時一般的な用法だったのでしょうか? みんなが事件の「観客」であったことが強調されるような表現です。

 

ここで重要なのが、この本が刊行されたタイミングです。ここで手元のパンス年表を取り出して確認しますと……連合赤軍メンバーが山荘に立て篭もったのは1972年2月19日。制圧されたのが2月28日です。この時点では凶悪な立てこもり犯が逮捕されたという出来事でしたが、事件前に起きていたメンバー同士によるリンチ殺人事件、いわゆる「山岳ベース事件」が明らかになるのは3月以降。『週刊現代』増刊は3月21日付なのでその1週間前くらいには店頭に並んでいたはずですが、おそらく急遽差し込んだであろうリンチ事件に関する詳報は別記事となっており、100人のコメントはそれ以前に収録されたようで、立てこもりとその制圧についてしか触れられていません。

 

以下、各界の人々によるコメント抜粋です。見出しのカッコ内と肩書は掲載誌に準じています。本文カギカッコ内太字が引用です。

 

赤軍は採用しない」江戸英雄(三井不動産社長)

採用しないのか……と一目で分かる見出しです。しかし、「私の会社では学生運動に参加した者でも採用している」とのこと。彼らは「組合運動はやるし、給料をあげろといってくるが、現実をふまえて行動している」と評価しています。労組の勢いが十分にあった時代だったのがよく分かります。この状況が80~90年代には縮小していきます。

 

「もう寄付はしない」北杜夫(作家)

「以前から、特に成田空港の頃から学生たちから寄付なんかを求められていました。」応援のために積極的に寄付を行っていたそうですが、「土田さんの事件」を境にやめたそうです。「土田さんの事件」とは、前年12月に起こった、警察庁に爆弾小包が送られたというテロ事件。この頃の学生運動は徐々に爆弾テロに傾斜しており、このように、良心的な人々からの支持を失う要因となっていきます。

 

「残念な殉職」田中角栄通産大臣

「三分の理もない」福田赳夫外務大臣

「外国人ではない事を」三木武夫自民党代議士)

キューバではない」中曾根康弘自民党総務会長)

政治家も登場しています。この4人は全員、激烈な派閥争いのなかで70~80年代に首相経験者となりました。いち早く、この年「日本列島改造論」をブチ上げて首相となる田中角栄「法により厳正な処分を受けるべきである」と普通のコメント。三木武夫の見出しはどういうことだ!? と思ってしまいますが、犯人が外国のテロリストなどではなく、この日本社会で生み出された者たちなのだと痛感するべきだ、という主旨です。中曽根はチェ・ゲバラと比較し、南米などで起こっていた武装闘争という方法論をこの日本の社会に適用すること自体が夢想的で、主観主義の現れでしかないと批判しています。内容への賛否はともかく、いまの自民党政治家の頭脳では到底不可能そうなとこまで切り込んではいます。

 

毛沢東とは違う」市川誠(総評議長)

総評(日本労働組合総評議会)とは、今では顧みられることも少ないですが、1950〜1989年まで日本の労働組合ナショナルセンターとして強い存在感を持っていました。「学生をあそこまで追いこんでしまった政治を問題にしなければならない」としつつ、赤軍派毛沢東理論はほんとうの毛沢東理論とは違ったものである」と中国に擁護的に言及しているのが気になります。当時の日本における文化大革命の解釈についてはこれから調べたい課題のひとつ。

 

「極悪犯罪人である」石原慎太郎参議院議員

連合赤軍の行動は何も生みはしない。それに対して公害問題での市民の告発は、たとえば環境庁を作らせた」と言っています。前回の記事にも書いた通り、当時の公害問題に対する市民運動は着実な成果を上げていました。それに比べて連合赤軍は、という主旨ですが、お前が言うなって感じです。この数年後に石原慎太郎環境庁長官になりますが、水俣病の患者に暴言を浴びせて謝罪しています。

 

「親の過保護に責任」曽野綾子(作家)

「大学生の甘ったれ。これも親の子供に対する精神的保護の結果でしょうね」などなど。2010年代に老人や被災者に対する問題発言で話題になった作家ですが、基本的にこの頃からあまり変わってはいません。ここ20年ほどで自己責任論が普及したのも、それまでの社会で培われてきた通俗道徳(働かざるもの食うべからず的な)との相性の良さに起因していると考えているのですが、それをよく表しているとも思います。

 

「若者を甘やかすな」山口瞳(作家)

「だだっ子のような、単純で幼稚な行動では、人民を味方につけることはできませんよ」。こちらも「甘え」に原因を求めるパターン。『江分利満氏の優雅な生活』など、軽妙なエッセイで人気作家だった山口瞳。今でも古書店で気軽に手に入り、昭和の生活者のスタイルを知ることができます。

 

これらのコメントや他に掲載されている記事でも、「親の責任」にする論調は強めで、連合赤軍幹部の植垣康博の親にはインタビューも敢行。ちなみに弘前大学時代に植垣と交流のあった安彦良和はのちに「ガンダム」を生み出します。安彦良和による『革命とサブカル』という本で二人は再会して対話をしており、必読です。

 

「なにかむなしい」戸川昌子(作家)

「テレビを見ながらこれから、学生運動の低迷がはじまるんじゃないかしらと、なにかむなしさを感じましたね」この時点にして的確な指摘。戸川昌子はミステリ作家にしてシャンソン歌手。運営していた「青い部屋」は三島由紀夫川端康成も来ていたサロンで、渋谷に移ってからもクラブやシャンソンバーとして2010年まで続いており、学生時代とかよく行きました(友達がよく出てた)。かっこいい場所だった。

 

「ああイヤだ」遠藤周作(作家)

「今度の事件は、体制側にいろいろな法律を作らせる口実になる」『海と毒薬』、映画化もされた『沈黙』など、骨太でありながら広く読まれる作品を送り出していた遠藤周作。弾圧をもたらす結果しか生まないとして「反体制側の学生諸君は、このことを真剣に考えてほしい」と。「残った後釜のリーダーたちは(……)これからは数カ所で同時的に起こそうとするにちがいない」とも言っている。組織は違えど、それは半ば現実となったとはいえる。

 

「違うテレビと現実」三好徹(作家)

「千ミリの超望遠カメラで、八時間も十時間も映したところで、結局、それは真実ではないということです。あくまで、事実の断片でしかないんだし、彼らの起こした行動をどうこうという以前に、あのテレビ画面をすべて真実として報道をうのみにしてしまうことのほうがむしろ恐ろしいと感じましたね」すでにテレビが家庭に定着した時代でしたが、ひとつの事件が何時間も中継され続けていたのは初の出来事であり、そこに対する疑問を投げかける意見もあります。

 

「どうする狼少年」安岡章太郎(作家)

「えんえん十時間にわたるテレビの実況中継を一つのドラマとして見れば、まさに勧善懲悪、悪漢滅びて善人栄える大団円のごとくであるが、現実の事態は決してドラマのようにメデタシメデタシで終わるものではありえない」遠藤周作と同時期に活躍した「第三の新人」の安岡章太郎も、テレビでの報道に疑義を投げかけています。

 

連合赤軍と連合国民」真鍋博イラストレーター)

「大事件にしたのは報道軍団であった。テレビから女性週刊誌までの連合マスコミ軍である」星新一の装画でもよく知られるイラストレーター。マスコミや人々の狂騒を問題視しています。

 

「世論操作を警戒」羽仁進(映画監督)

「何が、この事件のまわりに異常な熱気を生んだのか、それを冷静に考え直す機会をつくる必要があると思います。自分では正義感と思いこんでいるものが他人によって作られているとしたら、怖ろしいことなのです」こちらも冷静な意見。寺山修司脚本の『初恋・地獄編』など、ATG系の映画を撮っていた監督。同時期に父の羽仁五郎が著した『都市の論理』はベストセラーになり、吉本隆明と並び学生運動におけるイデオローグでした。

 

「ユーモアが足りぬ」サトウ・サンペイ(漫画家)

「あの事件とは対照的に、中国では赤と青ほどに対立するニクソン周恩来が、昔からの知己のように親密に話し合っていた」それは日本人と違ってユーモアがあるからだ、と。「政治でも論理でもない、本当の意味のユーモア」ちょっとよく分からないし、米中国交に至った国際事情は色々原因あると思うのですが、「ユーモア」で社会現象を切るというのは現在ほとんど見かけないアプローチで、新鮮に感じます。『朝日新聞』に連載した「フジ三太郎」など、この時代に定着した中産階級サラリーマンの生活をユーモアを交えて描いた漫画家。

 

「こんな大事件に」金井美恵子(作家)

「どうせ、皆さん、連合赤軍を批難しているんでしょ。かといって、カッコいいなんていうのもどうかしてるし……困っちゃう。」さらっとしたコメントですが、その後書かれた数々の批評を読むにつけ、この時点で「さらっとしている」ことに過剰な意味を読み取ってしまいそうになります。

 

「世直しのきっかけ」若松孝二(映画監督)

「ぼくは彼ら“連合赤軍“を支持する」コメントは不要かと。その後に至るまでブレないスタンスを貫き通しているのが分かります。2008年には映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を残しています。

 

「根性に驚いた」梶原一騎(作家)

「あれはすごかった。もうテレビに釘づけになって、仕事も手につかず、ドギモを抜かれる思いで見ていた。最近の学生に、あんな根性のある連中がいたとは、これは大変なことだと思ってね……」巨人の星」「タイガーマスク」などの原作者。事件を「根性ベース」で捉えた斬新な意見です。この2年前の「よど号ハイジャック事件」において、赤軍派が「我々は『明日のジョー』である」と、自身の作品(高森朝雄名義)を引用しているので、その辺りも意識しているのかもしれません。

 

「赤は昔からいた」横井正一(グアム島生還)

残留日本兵としてグアム島で発見され、一躍有名になっていた横井庄一。発見されたのがこの年の1月24日で、帰国が2月2日なので、この時点で時事についてコメントをもらうというのはだいぶ無理があるのだが、「ああいう悪いヤツがいるんですね。昔も赤軍はあったが、今は多くなったように思います」と語っている。当然というべきか、戦前におけるソ連赤軍とごっちゃになっていて、「ホラ、あの北海道の樺太からソ連に渡った俳優さんがいるでしょう。あれが共産党赤軍ですわねえ」とも。これは1937年、松竹の俳優だった岡田嘉子と、演出家杉本良吉がソ連に密出国するという事件を指しています。恋の逃避行として当時世間でも話題となったのが伺えます。

 

こうやって並べてみると、現代において何か大事件が起きたときの「コメント」に見られる要素が、この時点で出揃っていると感じます。テレビを通じて視聴者が事件を知り、あれこれと解釈するときのパターンの数々。異なるのは、昨今ではSNSがあるので、それらの解釈を無数の人々が提示してその中でも議論が沸き起こると言う点でしょう。梶原一騎の意見などは即座に炎上してしまいそうです。もっとも、梶原一騎だったら炎上しても全然気にしなさそうですが。

そしてやはりポイントとなるのは、これらのコメントがリンチ事件発覚前であるという点です。基本的には、殉職者が出てしまったのは無念だが、人質は無事で本当に良かった、彼らの行為自体に対しては、心情的には理解できるというトーンが多めなのが印象的です。しかしこの後に衝撃が走ったのは言うまでもなく、かつ、日本赤軍によるさまざまなテロ、東アジア反日武装戦線による爆弾闘争、そして各大学で繰り広げられる内ゲバ、など、学生運動自体が極めて危険で、公共の敵として忌避されるようになっていくのが一般的な状況ではありました。2022年の現在にあっては、その後の時代を生きた人たちが社会の中心となっており、記憶も風化していくばかりかと思われます。しかし、風化した後の時代の人々も同じような轍を踏んでいないか、繰り返していないか確認するためにも、過去の出来事にアクセスする意義はあると、僕は考えています。