2023年5月28日 山田太一シリーズ『男たちの旅路』を観る
NHKオンデマンドで山田太一シリーズ『男たちの旅路』(1976)を観始めた。……といってもまだ1話目なのだが、この時点で色々と思うところがあったのでメモしておきます。
まず、ゴダイゴ(ミッキー吉野グループ)による音楽がめちゃくちゃクオリティ高いジャズ・ファンク。サンプリングしたくなるようなフレーズがたくさん出てくるので、最初はストーリーに集中できなかった。サウンドトラックのLPが比較的お手頃価格なので見つけたら買ってみよう。
ある警備会社の司令補・吉岡(鶴田浩二)は、普段は寡黙な男だが「若者が嫌い」で、ブチ切れると圧倒的な強さで暴力をもって若者をねじ伏せてしまう。1話は、そんな警備会社に入ってくる若者たちとの衝突から始まる。
当時(1970年代半ば)の若者なのでシラケ世代、うちの両親くらいだ。そのうちの二人、杉本(水谷豊)、柴田(森田健作)と吉岡でビルの警備をするのだが、杉本がすごいチャラチャラしていて反抗的なので当然吉岡はいら立ってるし、時にキレて殴る。しかしそれでもチャラい態度を崩さない杉本がなんかすごい。昔の若者はこんなに徹底的にチャランポランだったのか? 一方の柴田は若者でありながら、吉岡の厳格さに引かれ、徐々に規律を守るスタンスになっていく。そんな柴田を茶化す杉本がいきなり「ファシストじゃねえか」と、まるで今のTwitterみたいなことを言い出すのがちょっと面白い。どうしようもない世代間断絶が露呈したまま仕事が続く中、彼らが警備するビルから飛び降りようとする自殺志願者(桃井かおり)が登場し…。
古い作品に触れるとき、現代とのギャップを見出すのは楽しい。ギャップでありながら、当然現代とも地続きである。ここに出てくる「若者たち」は、2023年の今だと定年前後の年齢だろうか。そして、キレてしまう吉岡の姿に現代の人々は眉をしかめるかもしれないが、物語の中で、彼は先の戦争で特攻隊の生き残りであったことが明かされる。当時は「戦後30年」、つまり、かつて戦争に兵士として参加していた人間が「会社の上司」になっていた時代。さらに、吉岡を演じている鶴田浩二自身が、実際に特攻隊出身者だったのだ。
対して、規律を嫌がり、暴力を拒否し、テキトーに仕事をする杉本も、今では見かけないタイプ、というかちょっと信じられないような存在だ。テキトーでいるために上司にタメ口で対応し、仕事中にふざけ続け、全力で反抗する。大げさに言えば自由を追い求め、管理社会に反抗しているのだ。これこそが本来の意味でリベラルだ。「ちゃんとしなければならない」とリベラルの方が規律を志向してしまう昨今の風潮においては忘れられつつある点でもある。そんな「戦後世代」である杉本が自由になるためにかなりのリスクを取っている姿は胸を打つものがあり(ただふざけているだけなのだが)、正反対であるはずの吉岡と何か通じ合ってしまいそうな雰囲気も示されている。ここがこれから気になるところ。
2023年5月24日
急に「あれ食べたい」と思い立ったら、できる限りすぐに食べるように心掛けている。今日は大門にある「味芳斎」の麻婆豆腐が食べたくなり、仕事を終えて、夜の数時間をかけて行ってきた。もう10年以上前、この辺りでアルバイトしていた時に偶然立ち寄って、顔から火が出るほどの辛さだったがそのままハマってよく食べていたのだ。
ちょうど今日から配信が始まったceroのニューアルバムを聴きながら向かう。なんと素晴らしい。前作まではリズムの実験が印象的だったが今回はそれらに加え、上モノと言えば良いのか、ギター、シンセ、パーカッションなどなどのレイヤーがとてもユニークに構築され、全体のトーンを形作っている。他に類例がないけどポップな仕上がりに惚れ惚れとしてしまう。大江戸線に乗り換え、大門駅へ。この駅はなんだか変で、改札に行くまでに別の路線のホームを通ったり、出口に着くまでに上がったり下がったりする。大江戸線を増設したからこうなったのか。駅を出て、ATMでお金を下ろさねばとコンビニに向かうと、銀行のATMコーナーの中にコンビニの入口がある。ちょっと変だ。「天才バカボン」に出てきたハチャメチャな間取りの家を思い出す。
「味芳斎」本店は現在休業中。こじんまりとした佇まいが好きだったのだが。ほど近くにある支店は初訪問。広々とした店内で、浜松町あたりで働いているであろうサラリーマンたちが飲んで騒いでいる。平日夜に軽く飲みに行きたい時にちょうど良さそう。
ごちゃっとした見た目が独特な麻婆豆腐丼が出てきた。口にしてみると、10数年前にはかなり辛かったのだが、ほとんど辛くない。いや辛いのだが、全く苦痛を感じないため、その奥の旨みが存分に堪能できてかなり得した気分。ここ数年韓国ラーメンを食べ続けてきたので完全に辛さへの耐性ができているのだと思われる。周りの空気に影響されて、ビールも一杯、ピータンも追加する。
私が好きな坂本龍一の楽曲
を、プレイリストにしました。以前から自分用として一人で聴いてたものなのですが公開します。
小6の自分はミスチルに夢中で『アトミック・ハート』と『深海』ばかり聴いていたのだが、そのうちに他の音楽も色々と聴きたい気持ちになり、雑誌に載っているミュージシャンを少しずつチェックするようになった。その一環で、坂本龍一によるレーベル、gütのコンピを買ったのだと思う。まず、CDが紙製で端のプラスチックの部分をパチっと開ける仕様になっているのがカッコよかった。内容はゲイシャ・ガールズ、中谷美紀、アート・リンゼイ、テイ・トウワと並び坂本自身の楽曲も。中谷美紀「愛してる、愛してない」はサトシ・トミイエのリミックスで確かこのコンピのみの収録だと思われる。トライバル・ハウス的なアレンジになっており長尺にした12inchを出したらいま評判になりそう。アート・リンゼイは自分が初めて意識的に聴いたボサノヴァになる。中でも心を掴まれたのはテイ・トウワ「TECHNOVA」で、こんなカッコいい音楽がこの世の中にはあるのかと夢中で聴いていた。「LUV CONNECTION」も入っていて、これは当時「HEY! HEY! HEY!」のエンディングで流れていた。ビデオも大人っぽくて、よかった。なんという時代だろうか。
話がそれてしまった。その中に入っていた坂本龍一「美貌の青空」は、「カッコいい」という感情とは少しズレるのだけど強烈な印象がずっと残っていて今も大好きだ。この曲や「TECHNOVA」など、ブレイクビーツ的なトラックに引かれていたのだが、ブレイクビーツという概念が当時の自分にはなかったので、それっぽいトラックがあったらひたすら聴くといった具合だった。渋谷系や日本語ラップを聴くようになるのはもう少しだけ後。
さまざまな音楽に関心を持つ一方で、ピアノの練習をするのも日常だった。小さなころからピアノを弾くのが大好きで毎日ガチャガチャ鳴らしており本当にうるさかったと思う。中学校になっても続けていたのだが、その時期に教わっていた先生も坂本龍一のファン、というかYMOリアルタイム世代で中学時代には学園祭でコピーをしていた(矢野顕子役)と聞いて話が盛り上がった。寺山修司なども好きとのことで、当時の自分にはサブカル的な話ができる友人など皆無だったため、徐々に「話をするために」ピアノ教室に通うような状態になってしまって先生としては結構困っていたかもしれない。
中学生になっても熱心にピアノを弾いているのだから普通なら音大を目指すところだがその気はなかったので、先生も好きなように教えてくれて、興味を持ちそうな曲の楽譜を持ってきてくれたり、こちらから提案したりしていろいろと練習した。坂本龍一はドビュッシーとバッハに影響を受けたとインタビューなどでよく語っていて、早速図書館で借りてどちらにも魅了され、それらも弾いた(ドビュッシーはなかなか難しかった)。先生が持ってくるのはバルトークやロシア5人組からラフマニノフまで東欧ーロシアの19~20世紀音楽が多かった。ユニークだったけど正直自分としてはあまりピンと来ておらず、特にラフマニノフは難しすぎてほぼ挫折状態に。昨今の東欧の情勢などを見るにつけ、再度聴いてみようかなと思うけれど……。
すっかりリスナーであることが楽しくなってからは、単に難しくて弾けないだけなのになんとなく関心を失ったような素振りを見せて練習を怠るようになり、そのままなんとなく通うのを辞めてしまい、ピアノは弾かなくなった。東京に出てきてから実家が引っ越したのだが、置いてあったピアノがなくなっていたので親に聞いたらあっさり手放していた。
ドビュッシーの音楽はキャッチーなものもあるけど、19世紀後半とは思えないほど抽象的な曲も多い。一方で坂本龍一は、ドビュッシーからの影響があるのはわかるのだけどかなりメロディがしっかりしており、通俗的と言ってもよい曲も多い。自分が中学校の頃には「エナジー・フロー」がチャートに上がっていて「癒し」ブームなどと言われていた。それは『ウラBTTB』と名付けられたシングルに入っていて、『BTTB』の方はミニマルな曲やプリペアドピアノを使ってみるなど実験的な側面を見せていた。坂本龍一の音楽には常にそのような二面性が付きまとっている。
この二面性、言い換えればフットワークの軽さはとにかく「なんでもできてしまう」技術力と歴史を把握する力に由来するのだろう(ゲイシャ・ガールズ『少年』ではフォークソングをやっているし、1970年代のスタジオ・ミュージシャンとしての仕事も素晴らしいものだ)。そして、ここにパンク/ニューウェイヴの日本的転回(橋本治による『80年安保』の語を使いたい)の肝があると考えている。1980年代初頭の坂本龍一は高橋悠治と共演し、歌謡曲の仕事をこなした。この「脱領土化」が大きなインパクトを持っていたことこそが重要なのであって、なんでも並列化された相対主義の始まりと見るのは別に間違ってはいないのだがあくまでも「後からの視点」である。そしてそれは坂本のほか糸井重里や橋本治など「1968年」を通過した世代によって推進されたのだった。ちなみに1990年代には「脱領土化」自体の問い直しとして「YMO環境以後」といった提起がなされたが、そのあたりに深入りするのはちょうどいま別で書いているところなのでやめます。(すみません。>各位)
また話がそれてしまった……。もう少し音楽にフォーカスし直すと、坂本龍一のピアノ曲に見られるキャッチーな部分、エモっぽい要素は特に近代フランス音楽の系譜だと僕は考えている。ドビュッシー、ラヴェルに始まりサティ、フランス6人組あたりに至る、ベル・エポックから怒涛の20世紀に突入する時代へのまなざしが常にある。つまり戦間期くらいまで。そしてポップミュージックの世界でここにこだわっている人は他にあまりいないような気がする。未来派野郎なのである(未来派はフランスじゃないけど)。
ようやくプレイリストの選定基準の話をすると、フランス印象派音楽以降を感じさせる旋律がジャズと融合するような瞬間(例えば、『A Tribute To N.J.P.』)、そして沖縄やブラジルなど、西欧以外の音楽とブレンドされ、ワールドミュージックのムーブメントと並走した時期の楽曲、NYハウスのB面的なブレイクビーツへの挑戦、そして『B-2 unit』を一つの極点とする実験などをできるだけ活動全体からまんべんなく選びつつ、普通にメロディが好きな曲も混ぜています。結論としては「20世紀文化の臨界」を音楽で描いたのが坂本龍一なのだと思っています。
魔境としてのTwitterに関するメモ
イーロン・マスクによってTwitterがざわめく日々が続いているが、日本ユーザーの様子で特に興味深いのが、先日の大量解雇に対する反応だ。ざっくりまとめてしまうと解雇されたのは意識高い系だみたいな誘導が存在し、なんとなくその説が普及しているといった具合だ。なんでもTwitterの社員は1日4時間くらいしか働いていないし、仕事中にヨガや日光浴をしてるようなスーパー有閑階級だという設定というか物語がウケているようだが、ソースはよくわからない。加えて、それらの社員は現代の左翼的な思想(広義のリベラリズムや多文化主義がそこでは名指される)を持っている、なんて尾ひれもついている。例としてこちらのツイートなど(この人には昔なぜかブロックされていたのだがいつの間にか解除されておる)、インフルエンサーの発信に喜ぶ人たちがいることまでは観測できる。このような説の元ネタとして「ルンペン・ブルジョワジー」なる単語を唱える記事の存在があるようだ。少し前に見かけた記事だがどなたかによる日本語訳が出て広がっている。この記事自体は興味深く読んだが、昨今の多文化主義批判の中でもちょっと毒っ気の強いバリエーションであって、これだけを根拠に欧米の企業社会を定義するのはわりと無理があるような。。。特に日本に置き換えるとほとんど当てはまらないのが現実なんじゃなかろうか。まあ、大企業の中のことは僕はよく知らないのだけど、、少なくともTwitter日本法人は明らかな人権侵害も放置しがちなのでたびたび批判されていたはずだ。「トレンド」が人為的であるという話も以前から知られていたものだが、これほど驚きを持って受け取られるのは、やはりTwitterというのは自由な言論空間として認識されている(認識したい)側面が強いのかなと思う。
冒頭の話題に戻るが、Twitter社員がスーパー有閑階級だという説に確たる根拠はなく、このようなツイートもあるのだが、ツイートにくっついているリプライ群に注目されたい。さまざまなアカウントがいや絶対マジメに仕事してない!と必死で食らいついており、理解に苦しむ。彼らをかき立てるその欲望とはなんなのか。とにかく自分に気持ちいい言説を求め続け、複雑な現象を簡単に解読し断定するためならどんな説にでも乗っかっていこうとする、その果てには陰謀論が待っている。これはイデオロギーの右左問わずそうで、陰謀論とは特定のイデオロギーや善悪ではなく、上記したような行動様式に宿るものだ。そんな状況を日々確認できるTwitterは相変わらず魔境である。
魔境としてのTwitterがある一方で、ユーザーは「ほっこりしたいい話」を求めるもので(というよりそっちが多数)、奇しくも本日コロンブスの卵のごとく「画像を逆さにする」だけで好感度爆上げをゲットするという手法を目撃し静かな衝撃を受けた。
結論:スターはすごい。
小学生に「それってあなたの感想ですよね」と言われたら
「それってあなたの感想ですよね」と言う小学生。そんなエピソードがTwitter上には散見され、本当にそうなの!? なんだかネットに相性の良さそうな小話なんじゃないのと疑ってかかっていたのだが、最近ではリアル知人からも何件か同様の報告を聞いたので、どうやら本当に存在するようだ。
そうなるとやはり「もし自分が言われたら」どう反応しようかなと考えてしまうのだが、頭ごなしに「そんなこと言うな」と否定したくはない。自分が子どもの頃、両親がなにか自分の知らない話をしていると「なになに〜」とよく割って入っていたのだが、そのたびに「子どもが大人の話に入ってくるな」と叱られたものだった。すると自分はシュンとしてしまうわけだが、入ってこられたくない話題だったら自分がいないところでしてくれよと、いまだにちょっと腹を立ててしまう。
話がちょっとズレたが、何が言いたいかというと、頭ごなしにコミュニケーションを遮断されてしまうと、38歳の自分がいまだに根に持っているように言われた子どもはずっと覚えていることもあるので、そこは気をつけたいのである。ただ、じつは「それってあなたの感想ですよね」もまた、コミュニケーションを遮断する類の言葉である。遮断してなんとなく勝った感が出るので流行るのだろう。子どもは大人よりもはるかに速いスピードで成長していくものだが、ちょっとズルいというかチート的な方法論を見つけたら取り入れたくなってしまうもので、簡単にイイ気分になれるツールとして採用されるのも無理のない話だろう。
それにしても、本来この言葉が指す意味を正確に表すなら「それってあなたの主観ですよね」と言った方がベターかと思われる。しかしそこをより身近な「感想」という単語にするだけで、言葉の持つ高尚さの段階を下げるような効果もある。子どもにもなじみ深い言葉になる。ここに作者の巧みさがある。
よくよく考えてもみれば、人間がなにかの出来事に対して意見するときはたいていが「感想」ないしは「主観」なのである。瞬時に客観的な意見を述べられるなんてのはそれぞれのテーマにおける専門家に限られてしまうだろう。それが否定的に機能すること自体が本来は不自然なことではなかろうか。なので、もし小学生にそう言われたら、「そう、これは感想なのだ」と素直に認めるのが良さそうだ。かつ、相手の「感想」も聞いて、一致する部分、違っている部分を認識し合うとやり取りが生まれるとも言いたくなる。それは楽しいものだと思ってもらえたらなお良い。大人に同じことを言われたら無視します。
ただ一点付け加えると、「感想」から始めるのは自然なことだが、延々と「感想」だけをずっと垂れ流し続けて、あたかもそれがいっぱしのオピニオンであるような態度を取られるのはちょっと辛い。要するに感想を表明したあとには、時間をかけてそれについて調べ、揉みほぐしておくことが大切だと思う。しかし、そうやって寝かせた上での意見も「それってあなたの感想ですよね」で済ませてしまうこともできるので厄介ではある。ーーと、普通の感想をまずは記しておく。
年表:安倍晋三 1954〜2022
*1954年9月21日
毎日新聞の記者であった安倍晋太郎と妻洋子の次男として東京都に生まれる
*1957年4月20日
岸信介、NHKラジオ「総理大臣岸さんの茶の間を訪ねて」に出演
孫の晋三も出演
*1960年6月頃
新安保条約反対のデモに囲まれる中、両親と南平台の岸邸を訪れ、祖父と遊ぶ
*1970年
高校時代、70年安保を破棄すべきと述べる教師に反論
「中身も吟味せずに、何かというと、革新とか反権力を叫ぶ人たちを、どこかうさんくさいなあ、と感じていたから、この先生のうろたえぶりは、わたしにとって決定的だった」
(『美しい国へ』P21)
*1977年
渡米し、1978年から南カリフォルニア大学に留学
*1979年
帰国し、神戸製鋼所に入社
*1982年11月27日
→晋三が秘書官を務める
*1986年7月22日
第3次中曽根内閣が発足:安倍晋太郎、党総務会長に就任
*1987年6月9日
森永製菓・松崎社長の長女で電通社員の昭恵と結婚式
*1987年10月
父の安倍晋太郎、自民党幹事長に就任 →晋三が幹事長秘書となる
*1990年1月
*1991年5月15日
安倍晋太郎、入院先の病院で死去:享年67
*1993年7月18日
*1994年4月28日
羽田孜内閣発足
この頃開かれた自民・社会有志による勉強会「リベラル政権を創る会」に参加
*1995年9月
*1999年
衆議院厚生委員会理事に就任
自由民主党社会部会長も務める
*2000年6月28日
山口県下関市の後援会事務所の窓ガラスが割られ、屋内外に火炎瓶2本が置かれる
*2000年7月
*2001年4月
*2002年9月17日
*2002年
第31回ベストドレッサー賞受賞(政治・経済部門)
*2003年9月21日
第41代自由民主党幹事長に就任
*2004年1月
*2004年9月27日
自由民主党幹事長代理に就任
*2005年1月12日
朝日新聞、NHK番組に安倍自民党幹事長代理,中川経産相が介入と報道
*2005年4月
自民党、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査PT」設置
座長=安倍晋三
*2005年10月31日
*2006年4月
*2006年7月
*2006年9月20日
第21代自由民主党総裁に就任
*2006年9月26日
*2006年9月29日
*2006年10月5日
政府インターネットテレビと首相官邸Webサイトもリニューアル
*2006年10月8日
訪中し、胡錦涛国家主席と会談 →9日には訪韓し盧武鉉大統領と会談
*2006年10月10日
*2006年11月13日
「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」設置
*2006年12月4日
*2006年12月15日
改正教育基本法成立
*2006年12月15日
防衛省昇格法成立
*2007年4月
首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」設置
*2007年5月14日
国民投票法成立
*2007年5月28日
政治献金問題で追及されていた松岡利勝農水相が自殺:現職閣僚の自殺は戦後初
*2007年6月30日
久間防衛相、原爆投下について「しょうがない」と発言
*2007年6月30日
社会保険庁改革関連法成立
*2007年7月29日
→与野党逆転し、民主党が初めて第1党となる →安倍首相は続投を表明
*2007年8月27日
*2007年9月10日
*2007年9月12日
緊急記者会見で辞意表明、翌日、慶應義塾大学病院に入院
*2007年9月20日
*2012年1月
公式Twitterアカウントを開設
*2012年9月26日
第25代自由民主党総裁に就任
*2012年11月14日
*2012年12月16日
*2012年12月26日
*2013年1月10日
*2013年1月15日
*2013年1月
『新しい国へ ー美しい国へ 完全版ー』(文春新書)刊行
*2013年2月22日
*2013年4月19日
安倍首相、日本記者クラブで「成長戦略スピーチ」:アベノミクス第一弾発表
*2013年4月19日
改正公職選挙法成立:インターネット上の選挙運動を解禁
*2013年6月13日
改正障害者雇用促進法成立
*2013年6月14日
閣議、アベノミクスの成長戦略と「骨太の方針」「日本再興戦略」を決定
*2013年7月21日
→自民・公明が過半数を確保、衆参両院の「ねじれ」解消
*2013年9月7日
福島第1原発事故の放射性物質汚染水漏れについて、「状況はコントロールされている」と述べる
2020年オリンピックの東京招致が決定
*2013年9月25日
ニューヨーク証券取引所での講演で「Buy my Abenomics」と述べる
*2013年10月1日
記者会見で、2014年4月に消費税を8%に引き上げると表明
*2013年11月27日
*2013年12月6日
特定秘密保護法成立
*2013年12月26日
靖国神社を参拝 →米国が「失望」を表明
*2013年12月
安倍晋三、百田尚樹 『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック)刊行
第42回ベストドレッサー賞(政治・経済部門)受賞
*2014年2月13日
自民党の総務会において「最高責任者は私です。」と発言
*2014年3月21日
フジテレビ系「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」に現役総理大臣として初めて生出演
*2014年4月1日
消費税率の3%引き上げ(8%)を実施
*2014年4月
『日本の決意』(新潮社)刊行
*2014年5月30日
内閣人事局が発足:中央省庁の幹部人事を一元化
*2014年5月17日
東京・お台場の「マダム・タッソー東京」で、安倍首相の等身大ろう人形の展示が開始
*2014年6月30日
フィナンシャル・タイムズ紙に「私の『第3の矢』は日本経済の悪魔を倒す」と題した論文を寄稿
*2014年7月1日
*2014年11月18日
2015年10月に予定されていた消費税率再引き上げの1年半延期と衆院解散を表明
*2014年12月14日
第47回衆議院議員総選挙
*2014年12月24日
第3次安倍内閣が発足
*2015年1月
中東を訪問 →イスラム国による日本人殺害予告を受け、前倒しで帰国
*2015年2月19日
*2015年3月20日
*2015年5月28日
衆議院平和安全法制特別委員会にて辻元清美の質疑中に「早く質問しろよ」「大げさなんだよ」とヤジ
*2015年6月10日
改正防衛省設置法成立
*2015年7月17日
新国立競技場建設計画を白紙撤回と表明
*2015年8月14日
戦後70年の「安倍談話」閣議決定
*2015年9月5日
開校予定の「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長に就任
*2015年9月11日
改正労働者派遣法成立
*2015年9月19日
安全保障関連法成立
*2015年9月24日
記者会見で「アベノミクス第2ステージ」「新・3本の矢」を発表
*2015年10月7日
改造第3次安倍内閣発足:一億総活躍担当大臣を新設
*2015年11月2日
*2016年1月29日
*2016年3月22日
政府の「まち・ひと・しごと創生本部」、文化庁の京都移転を決定
*2016年5月16日
*2016年7月10日
第24回参議院議員通常選挙
*2016年8月3日
*2016年9月1日
*2016年11月15日
政府、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)で、安全保障関連法に基づく「駆けつけ警護」を閣議決定
*2016年11月17日
米ニューヨークで安倍首相とトランプ次期米大統領が会談
*2016年12月27日
*2017年2月9日
*2017年2月17日
森友学園問題について「自身や妻昭恵氏が国有地売却に関与していれば議員辞職する」と答弁
*2017年3月13日
*2017年5月17日
朝日新聞、加計学園獣医学部新設をめぐり、「総理の意向」文書が文科省から判明と報道
*2017年6月15日
*2017年7月1日
東京都議会議員選挙の応援演説で、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言
*2017年8月3日
第3次安倍改造内閣発足
*2017年9月28日
*2017年10月22日
第48回衆議院議員総選挙:自民が圧勝、立憲民主も野党第一党に躍進
*2017年11月1日
第195特別国会召集:安倍首相が再選され、第4次安倍内閣発足
*2017年11月6日
トランプ米大統領が初来日:安倍首相と会談後、北朝鮮による拉致被害者の家族と面会
*2017年12月15日
Instagramアカウントを開設
初投稿は「笑っていいとも」出演時のネームプレートの写真
*2018年2月9日
韓国・平昌で日韓首脳会談
*2018年4月9日
*2018年5月23日
財務省、佐川氏が「廃棄した」と国会答弁していた森友学園との交渉記録を公表
*2018年6月13日
*2018年6月29日
働き方改革関連法案が成立
*2018年11月14日
→1956年の「日ソ共同宣言」を基礎に平和条約交渉を加速化させることで合意
*2019年2月6日
参議院予算委員会にて「総理大臣でございますので、森羅万象すべて担当している」と発言し話題に
*2019年6月28日
G20大阪サミットにて「唯一のミスは大阪城にエレベーターをつけたこと」と発言
*2019年7月4日
政府、韓国に対し半導体製造に必要な3品目の輸出規制強化を発動
*2019年7月21日
第25回参議院議員通常選挙
*2019年8月2日
政府、韓国を輸出手続き簡略化の優遇措置を受ける「ホワイト国」から除外
*2019年9月5日
ウラジオストクで日露首脳会談
会談後、東方経済フォーラムに出席し、プーチン大統領を前に
「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている」
「ゴールまで、ウラジーミル、二人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」と訴え
*2019年10月4日
臨時国会召集:安倍首相、所信表明演説で改憲論議は「国民への責任」と表明
*2019年11月20日
首相の通算在職が2,887日となり、桂太郎を抜いて憲政史上最長を記録
*2020年1月10日
菅官房長官、「桜を見る会」招待者名簿の廃棄をめぐり、公文書管理法違反を認める
*2020年1月28日
桜を見る会問題に関する質問に対し「幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」と発言
*2020年2月12日
*2020年2月27日
新型コロナウイルスを受け、全小中高校の休校を要請
*2020年3月13日
改正新型インフルエンザ対策特別措置法成立
*2020年3月24日
国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長と東京五輪の1年延期で合意
*2020年4月1日
布マスク2枚の全世帯への配布を表明:「アベノマスク」
*2020年4月7日
新型コロナ感染者急増のため、7都府県に5月6日まで1ヵ月間の緊急事態宣言を発令
*2020年5月6日
ニコニコ生放送「安倍首相に質問!みんなが聞きたい新型コロナ対応に応える生放送」に出演
*2020年5月18日
政府・与党、一部の検察官の定年延長を特例的に可能とする検察庁法改正案の通常国会での成立を断念
*2020年8月24日
安倍首相の連続在職日数が第2次政権発足以来2,799日となり、歴代最長記録を更新
*2020年8月28日
潰瘍性大腸炎再発のため辞任表明
*2020年9月16日
*2020年12月21日
東京地検特捜部、「桜を見る会」の前夜祭をめぐり、安倍前首相に任意で事情聴取
*2021年6月
『月刊Hanada』8月号において桜井よしこと対談
「反日的ではないかと批判されている人が五輪に反対」と発言
*2021年9月12日
世界平和統一家庭連合(旧統一協会)と天宙平和連合(UPF)が共同開催した「THINK TANK 2022希望の前進大会」に、ビデオメッセージを送る
*2021年10月19日
公式YouTubeチャンネル「あべ晋三チャンネル」を開設
*2021年11月11日
所属する細田派会長の細田博之が衆議院議長に就任したため派閥に復帰、後任会長に就任
*2022年2月27日
フジテレビの番組『日曜報道 THE PRIME』に出演し、「核共有(核シェアリング)について議論していくことをタブー視してはならない」と発言
*2022年7月8日
11時30分頃、奈良県奈良市の近畿日本鉄道大和西大寺駅付近で選挙演説を行っていた際に銃撃され、同日17時3分に死亡が確認される
*2022年7月11日
関係者による通夜が行われる
*2022年7月12日
告別式が東京都港区の増上寺で執り行われる
*2022年7月14日
岸田文雄首相、記者会見で、同年の秋に国葬を行う考えを明らかに
*2022年7月22日
*2022年9月27日
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安倍晋三元首相の軌跡を振り返る年表を作成しました。
制作者:パンス
さまざまなテーマでの年表作成、近現代の文化/社会の研究を行っています。
政治家失言クロニクル(テキストユニットTVODによる共著)
年表・サブカルチャーと社会の50年(ポスター4枚組)