私が好きな坂本龍一の楽曲

を、プレイリストにしました。以前から自分用として一人で聴いてたものなのですが公開します。

 

 

 

6の自分はミスチルに夢中で『アトミック・ハート』と『深海』ばかり聴いていたのだが、そのうちに他の音楽も色々と聴きたい気持ちになり、雑誌に載っているミュージシャンを少しずつチェックするようになった。その一環で、坂本龍一によるレーベル、gütのコンピを買ったのだと思う。まず、CDが紙製で端のプラスチックの部分をパチっと開ける仕様になっているのがカッコよかった。内容はゲイシャ・ガールズ中谷美紀アート・リンゼイテイ・トウワと並び坂本自身の楽曲も。中谷美紀「愛してる、愛してない」はサトシ・トミイエのリミックスで確かこのコンピのみの収録だと思われる。トライバル・ハウス的なアレンジになっており長尺にした12inchを出したらいま評判になりそう。アート・リンゼイは自分が初めて意識的に聴いたボサノヴァになる。中でも心を掴まれたのはテイ・トウワTECHNOVA」で、こんなカッコいい音楽がこの世の中にはあるのかと夢中で聴いていた。「LUV CONNECTION」も入っていて、これは当時「HEY! HEY! HEY!」のエンディングで流れていた。ビデオも大人っぽくて、よかった。なんという時代だろうか。

 

話がそれてしまった。その中に入っていた坂本龍一「美貌の青空」は、「カッコいい」という感情とは少しズレるのだけど強烈な印象がずっと残っていて今も大好きだ。この曲や「TECHNOVA」など、ブレイクビーツ的なトラックに引かれていたのだが、ブレイクビーツという概念が当時の自分にはなかったので、それっぽいトラックがあったらひたすら聴くといった具合だった。渋谷系日本語ラップを聴くようになるのはもう少しだけ後。

 

さまざまな音楽に関心を持つ一方で、ピアノの練習をするのも日常だった。小さなころからピアノを弾くのが大好きで毎日ガチャガチャ鳴らしており本当にうるさかったと思う。中学校になっても続けていたのだが、その時期に教わっていた先生も坂本龍一のファン、というかYMOリアルタイム世代で中学時代には学園祭でコピーをしていた(矢野顕子役)と聞いて話が盛り上がった。寺山修司なども好きとのことで、当時の自分にはサブカル的な話ができる友人など皆無だったため、徐々に「話をするために」ピアノ教室に通うような状態になってしまって先生としては結構困っていたかもしれない。

 

中学生になっても熱心にピアノを弾いているのだから普通なら音大を目指すところだがその気はなかったので、先生も好きなように教えてくれて、興味を持ちそうな曲の楽譜を持ってきてくれたり、こちらから提案したりしていろいろと練習した。坂本龍一ドビュッシーとバッハに影響を受けたとインタビューなどでよく語っていて、早速図書館で借りてどちらにも魅了され、それらも弾いた(ドビュッシーはなかなか難しかった)。先生が持ってくるのはバルトークロシア5人組からラフマニノフまで東欧ーロシアの19~20世紀音楽が多かった。ユニークだったけど正直自分としてはあまりピンと来ておらず、特にラフマニノフは難しすぎてほぼ挫折状態に。昨今の東欧の情勢などを見るにつけ、再度聴いてみようかなと思うけれど……。

 

すっかりリスナーであることが楽しくなってからは、単に難しくて弾けないだけなのになんとなく関心を失ったような素振りを見せて練習を怠るようになり、そのままなんとなく通うのを辞めてしまい、ピアノは弾かなくなった。東京に出てきてから実家が引っ越したのだが、置いてあったピアノがなくなっていたので親に聞いたらあっさり手放していた。

 

ドビュッシーの音楽はキャッチーなものもあるけど、19世紀後半とは思えないほど抽象的な曲も多い。一方で坂本龍一は、ドビュッシーからの影響があるのはわかるのだけどかなりメロディがしっかりしており、通俗的と言ってもよい曲も多い。自分が中学校の頃には「エナジー・フロー」がチャートに上がっていて「癒し」ブームなどと言われていた。それは『ウラBTTB』と名付けられたシングルに入っていて、『BTTB』の方はミニマルな曲やプリペアドピアノを使ってみるなど実験的な側面を見せていた。坂本龍一の音楽には常にそのような二面性が付きまとっている。

 

この二面性、言い換えればフットワークの軽さはとにかく「なんでもできてしまう」技術力と歴史を把握する力に由来するのだろう(ゲイシャ・ガールズ『少年』ではフォークソングをやっているし、1970年代のスタジオ・ミュージシャンとしての仕事も素晴らしいものだ)。そして、ここにパンク/ニューウェイヴの日本的転回(橋本治による『80年安保』の語を使いたい)の肝があると考えている。1980年代初頭の坂本龍一高橋悠治と共演し、歌謡曲の仕事をこなした。この「脱領土化」が大きなインパクトを持っていたことこそが重要なのであって、なんでも並列化された相対主義の始まりと見るのは別に間違ってはいないのだがあくまでも「後からの視点」である。そしてそれは坂本のほか糸井重里橋本治など「1968年」を通過した世代によって推進されたのだった。ちなみに1990年代には「脱領土化」自体の問い直しとして「YMO環境以後」といった提起がなされたが、そのあたりに深入りするのはちょうどいま別で書いているところなのでやめます。(すみません。>各位)

 

また話がそれてしまった……。もう少し音楽にフォーカスし直すと、坂本龍一ピアノ曲に見られるキャッチーな部分、エモっぽい要素は特に近代フランス音楽の系譜だと僕は考えている。ドビュッシーラヴェルに始まりサティ、フランス6人組あたりに至る、ベル・エポックから怒涛の20世紀に突入する時代へのまなざしが常にある。つまり戦間期くらいまで。そしてポップミュージックの世界でここにこだわっている人は他にあまりいないような気がする。未来派野郎なのである(未来派はフランスじゃないけど)。

 

ようやくプレイリストの選定基準の話をすると、フランス印象派音楽以降を感じさせる旋律がジャズと融合するような瞬間(例えば、『A Tribute To N.J.P.』)、そして沖縄やブラジルなど、西欧以外の音楽とブレンドされ、ワールドミュージックのムーブメントと並走した時期の楽曲、NYハウスのB面的なブレイクビーツへの挑戦、そして『B-2 unit』を一つの極点とする実験などをできるだけ活動全体からまんべんなく選びつつ、普通にメロディが好きな曲も混ぜています。結論としては「20世紀文化の臨界」を音楽で描いたのが坂本龍一なのだと思っています。