平成の思い出 <2>

僕がフィッシュマンズ『宇宙 日本 世田谷』を購入したのは、宇宙 日本 茨城県の、栃木県の県境にポツリとある無人駅の付近にそびえ立つーーというより広大な土地の平面上にぐにゃりと広がるように建設されたショッピング・センターのなかに入っている、BOOKOFFだった。たしか中2だったので1998年だと思う。それ以前から、家庭にケーブル・テレビが導入される恩恵を受けていたため、スペースシャワーTVで繰り返し流される「MAGIC LOVE」のMVはすでに見て魅了されていたし、たしか何かの番組のジングルにもフィッシュマンズの楽曲が使われていた(『LONG SEASON』の一部抜粋だったかもしれない)。『Quick Japan』やその他音楽誌のインタビューも読んでいたため予備知識はバッチリだったが、肝心のアルバムをちゃんと聴いていなかったのだ。周りに同じような趣味の友人は皆無だったので、自分で買わない限りアルバムは聴けなかった。
 
当時フィッシュマンズを聴いて何か批評めいたことを考えるという発想はあまり頭のなかにはなく、どちらかというとテクノやヒップホップに興味があったので、その音響に耳を澄まし、身体を動かす対象として捉えていたように思う。という姿勢を取りつつも自分にとってテクノともヒップホップとも違う新鮮味があったのも事実で、それには二つの理由がある。
 
ひとつは、ダブという音楽的手法を(言語レベルではなく)身体で実感した、その入口になった点。こと日本の茨城国カントリー・サイドにおいてレゲエ・ミュージックは普及していなかった(ジャパレゲが地方にまで普及するのは僕が大学に入ってから、2000年代前半くらいだった)。かなり遠くにある音楽という意識があり、佐藤伸治没後、『Temple of Dub』というコンピレーション・アルバムがリリースされて、水墨画風のジャケットがカッコよく試聴機で聴いてみたけどまだまだ自分には会得できなかった。Dry & Heavyや、クボタタケシなどに並びインドープ・サイキックスの楽曲が収録されていたのだが、これがずいぶんと激しいIDM的なアプローチで、これもそれもダブというのはいかなることかと首を傾げたものだった(最近ようやく買って愛聴しています)。ようやく「完全に理解した」と思えたのは実際にクラブに行ってサウンド・システムの前で躍り狂うようになってから。その点フィッシュマンズはなによりもメロディアスで聴きやすかったのだ。
 
ふたつめは、歌詞の存在感。当時の自分はラディカルでありたいという自意識を持て余していたので、歌詞なんて必要ないと思いながらテクノなどを聴いていたし、同時代の日本語ラップブッダ・ブランドを頂点とするリリックの実験の反復のなかからナンセンスな詩が繰り出される状態が素晴らしいと思っていた(日本語ラップが持つ叙情性などが着目されるのは、これもまた2000年代前半からだろう)。『リトルモア』『文藝』など文芸誌を読んでいるとそこでもNIPPSが「知ったフリしろ」「意味はなくていい」といったメッセージを打ち出していたのも大いに励みになった。そんなスタンスをとっているつもりだったのだけど、フィッシュマンズに関しては、歌詞がことごとく刺さってしまうので、ちょっと困った。
 
実際に『宇宙 日本 世田谷』の展開に引き寄せて考えてみる。「POKKA POKKA」「WEATHER REPORT」を入口として、「IN THE FLIGHT」で足がすくんでしまうような感覚に陥る。これはよく言及されるけれども「僕はいつまでも何もできないだろう」というラインだ。活発に(ひとりで)図書館の本を読みあさっているような中学生がこの歌詞にぶち当たり、自分なりに解釈するのはなかなかの困難を要する。ただし、曲が終わり、次の「MAGIC LOVE」で一息つくことができる。ステッパーズ・リディムのキュートなラブ・ソングで、なんだかんだで僕は最初にスペースシャワーTVで聴いたこの曲がいちばん好きなのだ(いまもってそういうところがある。ポップ・ミュージックに何か崇高さを求めるという振る舞いを回避しようとするような。)さらに続き、「バックビートにのっかって」は、当時の時点で耳に馴染んでいたブレイクビーツにふんだんなダブ処理が施されていて、いつまでもこの曲が続いてほしいと思ったものだった。
 
購入したBOOKOFFを筆頭に、『宇宙 日本 世田谷』は自分の見た風景と結びついている。それが世田谷の風景ではなかったという事実が自分にとってフィッシュマンズを解釈するときの特異点となっている(なんて文章をいま、世田谷区で投票を済ませてから書いている)。さらに言うと、自分がさほど「経験していなかった」といえる1990年代は、BOOKOFFなどの風景として「経験」されている。『宇宙 日本 世田谷』が1枚「ささっていた」BOOKOFFのCD棚をありありと思い出すことができる。大量の「やまだかつてないCD」が廉価で並んでいるし、書籍コーナーに目を向けると小室哲哉がさまざまな人と対談したシリーズや、シドニイ・シェルダンの禍々しい明朝体の背、その古色蒼然とした存在感は、「何もできない」中学生の閉塞感を倍増させていた。外に出るとめちゃくちゃに広い駐車場があり、そこを自転車で突っ切りながら家に帰る。高校に入ってからいつものようにその駐車場を走っていると、二人乗りをしたヤンキー中学生が横付けしてきて「千円貸して〜」とカツアゲしようとしてきたので慌ててペダルに力を込め、追いかけてくるバイクよりも速く、走り抜けたこともあった。情けないことこのうえないのと同時に、バイクよりも速い自分自身に爽快感を覚えていた(向こうもめんどくさくなっただけだけど)。フィッシュマンズはそのBGMとして鳴っていたのだった。
<たぶんつづく>