ずっと続くいやな予感(の中で何を書けばよいのか)

高橋和巳のエッセイに「暗殺の哲学」というタイトルのものがあったと思い出し、早朝から本棚を漁って読み返していた。司馬遷カミュドストエフスキーなどを引きながら暗殺とは何かを問うが、最後に一行「この稿には何らの結論もない。」と記して締められているのでわりと驚いてしまう。しかし学園紛争の高揚するまさにその時(『文藝』1967年6月号所収)に書かれたものであると確認し、「そうだよな」と納得してしまうのだった。アクチュアルな状況に遠くから切り込むとしたら、まず結論など出ない。

 

昨日の時点でTwitterのタイムラインから雲散霧消してしまったサイゼリヤの件などを思い出しながら、改めて自分が気になる点は2つの流れに大別されるだろうと頭の中で整理していた。まずは、とにかく結論を急ぐ傾向。そして、生起した問題に対して議論めいたものがあった後に、何か一様に同じような思考のフレームがTwitter内で共有される傾向。しかも最近はこの流れが凄まじく早くなっており、だいたい2時間くらいで形成されている気がする(個人的な体感)。

 

破局的な出来事があったときに即時的に何かを言いたくなってしまうのは僕もそうで、以前はエイヤっとばかりに書いてしまうこともあったのだが、ここ1年ほどは上記のような流れに閉口しているのもあり、あまり書けなくなってしまった。それぞれがポジションを取ることで空気ができて何となく構図が浮かび上がりそれが「世論」であるといわんばかりの状況になる。これは日本特有かどうかは分からないけれども、少なくとも日本の学校の教室みたいなものだと思えてならず、教室の外だけど教室から見える廊下みたいな場所でせめて何か残しておこうと判断したときにブログを書くのだった。

 

何について書きたいかというと無論、昨日の元首相殺害事件であって、まだ情報が少ないので書けることも限られるのだが、個人的なテロである可能性は高いだろう。そして政治犯ではない、という線になっている。元首相は2010年代の長い間一国の長を務めており、それによる日本社会の変化はさまざまな人々がネットなどで大いに語ったし、今でも語られるわけだが、そのような議論からは遠く離れた場所、もしくは底流と呼べるようなところで、全くもってイデオロギーとも縁がない、敵も同志も何もない、孤独なテロが頻発しているのがここ数年である。

実のところ私たちはその事実にすでに気付いており、電車に乗るときとかにうっすらと意識することもありつつ、何となくやり過ごしながら日々を暮らしている。アメリカの銃社会を嘆きつつ、日本社会も銃が普及していないだけで水位は同じようなものかもしれない。そして今回は手製の不格好な銃が使われた。そのような現実について考えることが、現代の社会を捉えることだと思うのだけど、「犯人は自分達とは関係ない」とばかりに切断し、結論を急ぐような仕草が氾濫しているようにも見受けられ、やはりそれが引っかかる。

 

※まだ動機の全容は分からないものの「特定の宗教団体」というワードが登場している。「特定の団体」と表記している記事もあり。この点に関しても現時点で明記しておく。

2022.3.23 ゼレンスキー演説

ゼレンスキー大統領の国会演説を観る。ネットなどで懸念されていた諸々の外交問題や歴史には触れない、穏当な内容だったと言ってよいだろう。

 

日頃カルチャー批評のようなことをやっていると陥りがちなのが、「日本人の特性は●●で〜」と断定的な日本人論をやってしまうことで、あまりそうならないように気をつけているつもりなのだが、ある一国の長が他国の国民に向けて何かメッセージを投げかけるならば、当然その国の特性のようなものをある程度分析、配慮していると考えるのは妥当だろう。というわけで外国からの目線で「日本人はこのように捉えられているんだな」と納得させられるようなところはあった。

 

それはどういうものかというと、先日のドイツと比べてみれば分かりやすいのだが、日本人に向けては「全然煽ってこない」という点で、少し前の「真珠湾攻撃」の時に顕著に現れていたように、はっきりした歴史的な出来事を出すと妙にセンシティブな反応が返ってきてしまうのをよく理解した上で練られていた。そんなわけで、出来事の名称を出さず、かつ現代の日本人が共有しているである記憶をキーワード単位でちりばめているところが、サンプリングっぽい方法論だな、、と思った。

 

自分などはついつい日本インターネットの世界観で物事を捉えてしまいがちで、ネットだけ見ていると左右問わず急進的な意見ばかりが目立ってしまうのだが、その外には広大な人々の世界が広がっているわけで、ゼレンスキー的には当然、それら全体にまで届ける必要がある。そこで導入されたのが、具体的(つまり、政治的)なアプローチを避ける、共感ベースの言葉であったことをどう考えればいいのだろうか。そして、現存しているこの感情や共感でできた共同体があるとすれば、これからどこに向かっていくのだろうか。

 

2022.3.19

日本共産党の議員の人がTwitterにて、ロシアで反戦を唱えたアナウンサーを讃えて「真の愛国者」だ、と書いていて、一瞬「うわっ」となってしまったのだが、よくよく考えれば、戦後(1960年代以降)の日共は民族自決、自主独立路線だった(わざわざ共産党オフィシャル・サイトまで行って綱領も確認してしまった)。現行インターネットリベラルにとっては人民戦線のようなインターナショナル路線を想起させられるのかもしれないが、それは戦前の話であって……、

 

とか、そんなマニアックな話をするのに何の意味があるのか、今は非常時であるのに、などといった言葉こそにノーを突きつけたい。それが自分にとっての「反戦」だ。毎日毎日一応インターネットからテレビまでチェックしているのだが、「反戦」を抑圧する言葉の気配は今や各メディアはもとより市井のインターネットリベラル、各種Twitter政治学者にも感じる。「平和の論理と戦争の論理」(久野収、1972年)からやり直さなければならないのだろうか? 

 

事態はかなり際どいところに来ていると思う。その「際どさ」は世界中で展開しており、ロジックやイメージによって促されるようなものでもなく、もっと身体的だ。要するに、指先でクリックした先にある。例を挙げるならば、いま『ウクライナ・オン・ファイヤー』とGoogleの検索窓に入力したら『ウィンター・オン・ファイヤー』の情報ばかり出てきた。えーと、紛らわしいのだが、前者はオリバー・ストーンが監督で、ロシアのプロパガンダなんじゃないかとも言われており、後者はNetflixでいま見ることができる、ウクライナの2014年マイダン革命のドキュメンタリーだ。前者の日本語字幕付きは現状ニコニコ動画でしか見ることができず、昨日は駐日ロシア大使館Twitterアカウントがニコニコのリンクを付けて宣伝するという珍現象まであった。

 

今日僕は部屋のレコードを片付けて、断捨離期間中ということで昔買ったミニマルハウスのレコードを40枚ほど下北沢で売却し、帰宅して要らない書類などを処分して、ヘトヘトになったので整理していたら出てきたマリン・ガールズのLPをかけながらグッタリと横になっていたけど起きて、Netflixの『ウィンター・オン・ファイヤー』を観た。そこで映し出されていたのはまさに「革命」以外の何ものでもなく、パリ・コミューンが存在した時代にビデオカメラがあったら記録されていたような映像がひたすら時系列で流れているのだった。機動隊による猛烈な弾圧に対抗し、バリケードを作り、タイヤを燃やして煙幕をはり、火炎瓶を投げる。実弾まで投入されるなか木製の板まで導入して盾にしながら広場から撤退しない市民。ドキュメンタリーはヤヌコーヴィッチ大統領が亡命し失脚するところで終わっているが、この後にロシアはクリミア半島に侵攻し、東部ウクライナでは内戦が起こる。日本からの風景としてはソチ・オリンピックで盛り上がったりしていた、その頃ソチからほど近い場所で起きていた話だ。

 

ひとりの女性が、バリケードの中に置かれたピアノでショパン「革命のエチュード」を弾いていた。かつて国土を蹂躙されたポーランドの作家の楽曲は、その後19〜20世紀を通して大国に翻弄され続けた東欧で、21世紀においても象徴的に鳴り響くのかと胸を突かれた。

 

そんな思いで観ていたのだが、僕にとっていちばん大きな感想は、自分にはこんな英雄的なことはできない、平和を希求することしかできない、という、極めて皮相でちっぽけなものだった。それが正直なところだし、限界だと思う。じゃあどうすればいいのか、いざというときはどうするのか、と問われれば、答えることができない。むしろこのあいまいで皮相な感情を、どのように理性的に、行動的に落とし込んでいくか、それだけが問われているのだと考えている。自分の思考を仕切り直さなければいけない。そのために書き続ける。まだ書くことはたくさんある。

 

2021.3.17

※2022ウクライナ侵攻に関してはたくさん書きたいことがあるのだけど、専門家でもない、一介の歴史好き、年表好きでしかない自分が何か書いたところで、床屋談義にしかならないことは自覚しており、少し足踏みしていた。けれど、床屋談義でも何か残して置いた方がいいのかもしれない、それもTwitterにポコポコと書いてツリーなんかにするよりは、ある程度の分量で、とも思い……。

 

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ゼレンスキー・ウクライナ大統領が米国議会向けの演説で真珠湾攻撃の話を持ち出したのが、日本人を微妙な気分にさせているようだ。Twitterだと、なんとなくウヨっている人に限らず、色んな人がモヤモヤしているのが見受けられる。

 

ゼレンスキーの言い分は特に奇妙なものではないだろう。まず、第二次世界大戦+太平洋戦争において、日本やドイツがかなり逸脱した行動を取り、結果敗北し、その後、敗戦国を否定した上での体制、秩序がなんだかんだでこれまで続いているなか、現在それを脅かしているのがプーチン・ロシアという見立ては間違っていないので、第二次世界大戦中(1941)に生起し、悲劇の象徴とされているパールハーバーになぞらえるのは実に妥当である。

 

そこで微妙な気分になってしまう日本人のアイデンティティがあるとすれば、実は日本人は戦後に形成された「連合国」による秩序の一員に入れてもらっているようでいて、どこかで折り合いが付いていないまま現代まで来ているということが浮き彫りになっているのではないだろうか。

 

しかし、ゼレンスキーは日本でも演説したいと言っているので、そのときは今回の発言とどう折り合いをつけるのかという疑問は湧く。日本に来たら日本人のアイデンティティを刺激するために原爆や空襲の話をするのか。そして(ないだろうけど)中国向けには満州事変の話をしたりするのか。それでは単に言ってる場所によって立ち位置がコロコロ変わる人ということになってしまう。そんなことはしないだろうとも思うけれど。

 

今回の件で問われているのはむしろ日本の方で、なんならかつては今のロシアと似たようなことをやってたのだから、まず日本人はそれをよく噛み締めておくべきなのである。戦後の国際秩序はそれが前提となっており、その恩恵を受けてここまで来ているのだから。

 

ただ、日本でゼレンスキーが演説するならば、この戦後の秩序という認識とどう折り合いをつけて話すのか、少し気になる。ましてや同じ枢軸国だったドイツではどうだろうか、などと考えていたら、もう今日の時点でドイツでは演説をしているようだ。内容はこれから確認したい。

1972年当時の有名人は、あさま山荘事件をどう見ていたのか

※書きかけのまま放置していたのですが、本日であさま山荘事件(検挙)から50年でもあり、追記した上でまとめました。なお、TVOD『政治家失言クロニクル』P-VINE)でも、本書をもとにした話をしているので、関心を持たれた方はぜひ、手にとってみて下さい。

 

以前の記事では、1968年以降の時代について触れました。当時は「スチューデント・パワー」なんて言葉もあったように、若者が主役の時代だったといえます。そんななか常々気になっているのが、同時期の「大人」はそんな若者たちをどう見ていたのだろうか、ということです。そのヒントになってくれそうな本を古書店で発見しました。『週刊現代』増刊、3月21日付「連合赤軍事件」緊急特集号です。

このなかに「日本の100人はテレビ棧敷でこう見た」という記事があります。「あさま山荘事件」について、各界の有名人100人からのコメントが列挙されているもの。ここから当時の世情を読み取ることができそうです。今回はここに掲載されたコメントと、各々のその後の活動を紹介することで、当時のリアルな雰囲気と、以降の時代を浮かび上がらせたいと思います。

 

記事タイトルにあるように、多くの人が「テレビ」を介してあさま山荘事件を体験したとコメントしています。「テレビ棧敷」というのは当時一般的な用法だったのでしょうか? みんなが事件の「観客」であったことが強調されるような表現です。

 

ここで重要なのが、この本が刊行されたタイミングです。ここで手元のパンス年表を取り出して確認しますと……連合赤軍メンバーが山荘に立て篭もったのは1972年2月19日。制圧されたのが2月28日です。この時点では凶悪な立てこもり犯が逮捕されたという出来事でしたが、事件前に起きていたメンバー同士によるリンチ殺人事件、いわゆる「山岳ベース事件」が明らかになるのは3月以降。『週刊現代』増刊は3月21日付なのでその1週間前くらいには店頭に並んでいたはずですが、おそらく急遽差し込んだであろうリンチ事件に関する詳報は別記事となっており、100人のコメントはそれ以前に収録されたようで、立てこもりとその制圧についてしか触れられていません。

 

以下、各界の人々によるコメント抜粋です。見出しのカッコ内と肩書は掲載誌に準じています。本文カギカッコ内太字が引用です。

 

赤軍は採用しない」江戸英雄(三井不動産社長)

採用しないのか……と一目で分かる見出しです。しかし、「私の会社では学生運動に参加した者でも採用している」とのこと。彼らは「組合運動はやるし、給料をあげろといってくるが、現実をふまえて行動している」と評価しています。労組の勢いが十分にあった時代だったのがよく分かります。この状況が80~90年代には縮小していきます。

 

「もう寄付はしない」北杜夫(作家)

「以前から、特に成田空港の頃から学生たちから寄付なんかを求められていました。」応援のために積極的に寄付を行っていたそうですが、「土田さんの事件」を境にやめたそうです。「土田さんの事件」とは、前年12月に起こった、警察庁に爆弾小包が送られたというテロ事件。この頃の学生運動は徐々に爆弾テロに傾斜しており、このように、良心的な人々からの支持を失う要因となっていきます。

 

「残念な殉職」田中角栄通産大臣

「三分の理もない」福田赳夫外務大臣

「外国人ではない事を」三木武夫自民党代議士)

キューバではない」中曾根康弘自民党総務会長)

政治家も登場しています。この4人は全員、激烈な派閥争いのなかで70~80年代に首相経験者となりました。いち早く、この年「日本列島改造論」をブチ上げて首相となる田中角栄「法により厳正な処分を受けるべきである」と普通のコメント。三木武夫の見出しはどういうことだ!? と思ってしまいますが、犯人が外国のテロリストなどではなく、この日本社会で生み出された者たちなのだと痛感するべきだ、という主旨です。中曽根はチェ・ゲバラと比較し、南米などで起こっていた武装闘争という方法論をこの日本の社会に適用すること自体が夢想的で、主観主義の現れでしかないと批判しています。内容への賛否はともかく、いまの自民党政治家の頭脳では到底不可能そうなとこまで切り込んではいます。

 

毛沢東とは違う」市川誠(総評議長)

総評(日本労働組合総評議会)とは、今では顧みられることも少ないですが、1950〜1989年まで日本の労働組合ナショナルセンターとして強い存在感を持っていました。「学生をあそこまで追いこんでしまった政治を問題にしなければならない」としつつ、赤軍派毛沢東理論はほんとうの毛沢東理論とは違ったものである」と中国に擁護的に言及しているのが気になります。当時の日本における文化大革命の解釈についてはこれから調べたい課題のひとつ。

 

「極悪犯罪人である」石原慎太郎参議院議員

連合赤軍の行動は何も生みはしない。それに対して公害問題での市民の告発は、たとえば環境庁を作らせた」と言っています。前回の記事にも書いた通り、当時の公害問題に対する市民運動は着実な成果を上げていました。それに比べて連合赤軍は、という主旨ですが、お前が言うなって感じです。この数年後に石原慎太郎環境庁長官になりますが、水俣病の患者に暴言を浴びせて謝罪しています。

 

「親の過保護に責任」曽野綾子(作家)

「大学生の甘ったれ。これも親の子供に対する精神的保護の結果でしょうね」などなど。2010年代に老人や被災者に対する問題発言で話題になった作家ですが、基本的にこの頃からあまり変わってはいません。ここ20年ほどで自己責任論が普及したのも、それまでの社会で培われてきた通俗道徳(働かざるもの食うべからず的な)との相性の良さに起因していると考えているのですが、それをよく表しているとも思います。

 

「若者を甘やかすな」山口瞳(作家)

「だだっ子のような、単純で幼稚な行動では、人民を味方につけることはできませんよ」。こちらも「甘え」に原因を求めるパターン。『江分利満氏の優雅な生活』など、軽妙なエッセイで人気作家だった山口瞳。今でも古書店で気軽に手に入り、昭和の生活者のスタイルを知ることができます。

 

これらのコメントや他に掲載されている記事でも、「親の責任」にする論調は強めで、連合赤軍幹部の植垣康博の親にはインタビューも敢行。ちなみに弘前大学時代に植垣と交流のあった安彦良和はのちに「ガンダム」を生み出します。安彦良和による『革命とサブカル』という本で二人は再会して対話をしており、必読です。

 

「なにかむなしい」戸川昌子(作家)

「テレビを見ながらこれから、学生運動の低迷がはじまるんじゃないかしらと、なにかむなしさを感じましたね」この時点にして的確な指摘。戸川昌子はミステリ作家にしてシャンソン歌手。運営していた「青い部屋」は三島由紀夫川端康成も来ていたサロンで、渋谷に移ってからもクラブやシャンソンバーとして2010年まで続いており、学生時代とかよく行きました(友達がよく出てた)。かっこいい場所だった。

 

「ああイヤだ」遠藤周作(作家)

「今度の事件は、体制側にいろいろな法律を作らせる口実になる」『海と毒薬』、映画化もされた『沈黙』など、骨太でありながら広く読まれる作品を送り出していた遠藤周作。弾圧をもたらす結果しか生まないとして「反体制側の学生諸君は、このことを真剣に考えてほしい」と。「残った後釜のリーダーたちは(……)これからは数カ所で同時的に起こそうとするにちがいない」とも言っている。組織は違えど、それは半ば現実となったとはいえる。

 

「違うテレビと現実」三好徹(作家)

「千ミリの超望遠カメラで、八時間も十時間も映したところで、結局、それは真実ではないということです。あくまで、事実の断片でしかないんだし、彼らの起こした行動をどうこうという以前に、あのテレビ画面をすべて真実として報道をうのみにしてしまうことのほうがむしろ恐ろしいと感じましたね」すでにテレビが家庭に定着した時代でしたが、ひとつの事件が何時間も中継され続けていたのは初の出来事であり、そこに対する疑問を投げかける意見もあります。

 

「どうする狼少年」安岡章太郎(作家)

「えんえん十時間にわたるテレビの実況中継を一つのドラマとして見れば、まさに勧善懲悪、悪漢滅びて善人栄える大団円のごとくであるが、現実の事態は決してドラマのようにメデタシメデタシで終わるものではありえない」遠藤周作と同時期に活躍した「第三の新人」の安岡章太郎も、テレビでの報道に疑義を投げかけています。

 

連合赤軍と連合国民」真鍋博イラストレーター)

「大事件にしたのは報道軍団であった。テレビから女性週刊誌までの連合マスコミ軍である」星新一の装画でもよく知られるイラストレーター。マスコミや人々の狂騒を問題視しています。

 

「世論操作を警戒」羽仁進(映画監督)

「何が、この事件のまわりに異常な熱気を生んだのか、それを冷静に考え直す機会をつくる必要があると思います。自分では正義感と思いこんでいるものが他人によって作られているとしたら、怖ろしいことなのです」こちらも冷静な意見。寺山修司脚本の『初恋・地獄編』など、ATG系の映画を撮っていた監督。同時期に父の羽仁五郎が著した『都市の論理』はベストセラーになり、吉本隆明と並び学生運動におけるイデオローグでした。

 

「ユーモアが足りぬ」サトウ・サンペイ(漫画家)

「あの事件とは対照的に、中国では赤と青ほどに対立するニクソン周恩来が、昔からの知己のように親密に話し合っていた」それは日本人と違ってユーモアがあるからだ、と。「政治でも論理でもない、本当の意味のユーモア」ちょっとよく分からないし、米中国交に至った国際事情は色々原因あると思うのですが、「ユーモア」で社会現象を切るというのは現在ほとんど見かけないアプローチで、新鮮に感じます。『朝日新聞』に連載した「フジ三太郎」など、この時代に定着した中産階級サラリーマンの生活をユーモアを交えて描いた漫画家。

 

「こんな大事件に」金井美恵子(作家)

「どうせ、皆さん、連合赤軍を批難しているんでしょ。かといって、カッコいいなんていうのもどうかしてるし……困っちゃう。」さらっとしたコメントですが、その後書かれた数々の批評を読むにつけ、この時点で「さらっとしている」ことに過剰な意味を読み取ってしまいそうになります。

 

「世直しのきっかけ」若松孝二(映画監督)

「ぼくは彼ら“連合赤軍“を支持する」コメントは不要かと。その後に至るまでブレないスタンスを貫き通しているのが分かります。2008年には映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を残しています。

 

「根性に驚いた」梶原一騎(作家)

「あれはすごかった。もうテレビに釘づけになって、仕事も手につかず、ドギモを抜かれる思いで見ていた。最近の学生に、あんな根性のある連中がいたとは、これは大変なことだと思ってね……」巨人の星」「タイガーマスク」などの原作者。事件を「根性ベース」で捉えた斬新な意見です。この2年前の「よど号ハイジャック事件」において、赤軍派が「我々は『明日のジョー』である」と、自身の作品(高森朝雄名義)を引用しているので、その辺りも意識しているのかもしれません。

 

「赤は昔からいた」横井正一(グアム島生還)

残留日本兵としてグアム島で発見され、一躍有名になっていた横井庄一。発見されたのがこの年の1月24日で、帰国が2月2日なので、この時点で時事についてコメントをもらうというのはだいぶ無理があるのだが、「ああいう悪いヤツがいるんですね。昔も赤軍はあったが、今は多くなったように思います」と語っている。当然というべきか、戦前におけるソ連赤軍とごっちゃになっていて、「ホラ、あの北海道の樺太からソ連に渡った俳優さんがいるでしょう。あれが共産党赤軍ですわねえ」とも。これは1937年、松竹の俳優だった岡田嘉子と、演出家杉本良吉がソ連に密出国するという事件を指しています。恋の逃避行として当時世間でも話題となったのが伺えます。

 

こうやって並べてみると、現代において何か大事件が起きたときの「コメント」に見られる要素が、この時点で出揃っていると感じます。テレビを通じて視聴者が事件を知り、あれこれと解釈するときのパターンの数々。異なるのは、昨今ではSNSがあるので、それらの解釈を無数の人々が提示してその中でも議論が沸き起こると言う点でしょう。梶原一騎の意見などは即座に炎上してしまいそうです。もっとも、梶原一騎だったら炎上しても全然気にしなさそうですが。

そしてやはりポイントとなるのは、これらのコメントがリンチ事件発覚前であるという点です。基本的には、殉職者が出てしまったのは無念だが、人質は無事で本当に良かった、彼らの行為自体に対しては、心情的には理解できるというトーンが多めなのが印象的です。しかしこの後に衝撃が走ったのは言うまでもなく、かつ、日本赤軍によるさまざまなテロ、東アジア反日武装戦線による爆弾闘争、そして各大学で繰り広げられる内ゲバ、など、学生運動自体が極めて危険で、公共の敵として忌避されるようになっていくのが一般的な状況ではありました。2022年の現在にあっては、その後の時代を生きた人たちが社会の中心となっており、記憶も風化していくばかりかと思われます。しかし、風化した後の時代の人々も同じような轍を踏んでいないか、繰り返していないか確認するためにも、過去の出来事にアクセスする意義はあると、僕は考えています。

 

 

 

 

 

コロナ禍に関する現状についての雑感

コロナウイルスについては不確定な要素が多すぎて専門家にお任せしたいという気持ちでいるのだが、やはりここまで長引いていると自分の心理的にいろいろと食らってしまうものもあり、素人考えながら雑感を記しておきたくなった。

 

こと日本において、今後の見通しが立っているようにはどうにも思えないのだけど、とくに気になっているのは、私権の制限について。このままのペースで感染者が増加したら、社会にかなり綻びが出てしまうと思う、という言い方だと曖昧だろうか。つまり感染したらお休みをしないといけないので、お店も休むし、会社にも行けない。そのパターンが増えているのは近所を歩いているだけでも分かる。かつ、もう1年半もさまざまな行動に対する緊張を強いられている。とにかく、そこについて政府はどう考えているのかがよく分からない。現状を見ると、一時的に社会機能を停止させるよりも、ほぼゆるゆるの状態のまま放っておいてワクチン一点突破で進めるという判断なのかなと思うけど、ということはそっちのほうが支障がないという試算があるのだろうか。ひと口に試算といっても、社会のなかには心理的な変化が及ぼす影響もあるし、何より生命じたいが問われているという状況なわけで、そこも含めて考えないといけないだろう。

 

政府にはせめてそのグランドデザインだけでも明らかにしてほしいのだけど、なぜ不透明なままにしているのか。ほとんどが不透明であるとは、言い換えると私たちはほとんど自由にされているということでもある。なぜか飲酒とその周辺にはやたらと厳しい措置が取られているが、それ以外の経済活動、生活についてはとりあえずのモラルを押し付けるくらいに留まっており、野放しにされているのでみんな自由に判断している。

 

自由に判断しているとは判断がそれぞれの人々に任されている(自己責任になっている)ということでもある。道筋すらあまり提示されていないので、自治体は自治体で、国民は国民でなんとか判断しながら堪えている。自由であるがゆえに、衝突も数知れず、日々論争が起こっている。フジロックフェスティバルにまつわる一連の流れを見ていてしんどいなあと思ったのは、全員がそれぞれに個人にとって、身の回りにとって最善な策をと判断しているのだが見解の違いによって引き裂かれてしまっているところだ。しかし、元を辿れば、上記したように自由にやってくれという国のメタ・メッセージ(とでも言えばよいか)があるからこうなっているだけであって、有り体に言ってしまえば本件に関しては誰も悪くはなく、悪いとすればそのように争うような結果を生み出している政府のみと考えた方がよいと思っている。コレ悪いだろという意見を一手に引き受けるために政府は存在しているし、そのために大きな権力を持っていると考えた方がよい。

 

※加えて言えば、政府のような権力を持っていない市井の人に対しても同じような力と気合いでパンチを喰らわせてしまったりするのはそれはそれで問題があるのだ。これはほかのさまざまな事象にも言えるのだけど、いまは、権力構造の認識、権力の「強さ」に対する認識がかなりボヤけた時代になっていて、これについては改めて書きたいところ。

 

いずれにしろ、去年イタリアのコロナ対策を受けて「例外状態」を作り出す世界を告発した(そして炎上した)ジョルジョ・アガンベンは、その逆をひた走るような日本政府の対応をどう見るのかななどと考えたりもした。

 

※最近聞かれなくなってはいるけれど「自粛警察」など、町内会の相互監視システムを応用しているという点では、かつての戦時に倣った日本流の「例外状態」なのかもしれないけれど。

 

そんなこんなだが、SNSを抜け出して年表に没頭しているのとひたすら調べ物をしている昨今である(どうにかこうにか、いろいろと準備しています。。)。しかしたまには気分転換したいものです。結論はそれに尽きる。

SNS言説の背景を考えるために

日本において「終戦」と認識されている日に、ターリバーンがカブールを陥落させたというニュースが入ってくるのは、なんとも妙な気分である。いやもちろんそれぞれは別々の事象であることを強調したうえではあるのだが。太平洋戦争の「終戦」が、レコード盤に記録された「終戦詔勅」が放送された8.15に規定するか否かという議論はずっと続いており、降伏文書が調印された9.2ではないかとか、さまざまな説があるのも理解はしているつもりだ。米艦隊が相模湾に入泊したのは8.27で、連合国軍の先遣隊が厚木に到着したのは8.28だ。

 

故・中村哲医師がターリバーンについてある程度肯定的に語ったインタビューをwebで読むことができる。その紹介ツイートに対して、いやターリバーンは悪だという反論リプライが大勢来ているのを見るにつけ、その是非はともかく、ひとつの感慨がある。というのも、自分が高校〜大学生だった頃はちょうど同時多発テロからアフガニスタン空爆イラク戦争の時期にあたり、当時の「対テロ戦争」というイデオロギーに対する議論はあちこちで巻き起こっていたと記憶しているが、少なくとも2021年のSNSでそれらはあまり受け継がれておらず、多くの人々は21世紀初頭にアメリカが打ち出した「対テロ戦争」レジームの延長上で考えているように見える。

 

日本人の持つ「ターリバーン観」しかり、日々議論の応酬が続くSNSの背景には、ここ数十年単位でのイデオロギー的な規定があり、そのパースペクティヴを認識する必要性について考えている。以前「ことばへの犯罪」という文章を書いたときにも意識していたのだが、DaiGoにまつわる議論もまた、この大きなイデオロギーの範囲内で思考せざるを得ない状況のなかにあるのではないか。すでにいくつかの指摘がなされているが、「権利は義務と引き換えにある」的、合理性重視な思考が人々のなかに深く内在していて、DaiGoの発言はもとより、彼に対する反論のなかにも散見されるのがどうにも気になる。

 

矢野利裕氏による所感は、そういった状況自体を教育現場から「実践的」に捉えていて読み応えのある記事で、とてもおすすめである(ちなみに『ことばへの犯罪』で取り上げたのも、1992年時点の教育現場からの論考だった)。このように整理する作業がいまは重要だと考えている。

 

それはなぜか。ここ数年におけるSNS言説の数々は、整理とは無縁で、モノローグ的に繰り出され、アテンションを生み出す機能に特化したものばかりになっているからだ。念のためここで注意深く補足しておくと、モノローグそのものの問題というより、それが政治的に機能したときに、背景にあるイデオロギー的な規定がぼかされがちで、曖昧なまま展開・拡散していく議論自体への疑問がある、と言いたいのだ。僕が昔の話をやたらとしつこくするのは、その仕組みから抜け出して考えたいという意思があるからなのだが、まあまどろっこしく見えるだろう。しかし、まどろっこしくしなければならないとも思っているのだ。