2022.3.23 ゼレンスキー演説
ゼレンスキー大統領の国会演説を観る。ネットなどで懸念されていた諸々の外交問題や歴史には触れない、穏当な内容だったと言ってよいだろう。
日頃カルチャー批評のようなことをやっていると陥りがちなのが、「日本人の特性は●●で〜」と断定的な日本人論をやってしまうことで、あまりそうならないように気をつけているつもりなのだが、ある一国の長が他国の国民に向けて何かメッセージを投げかけるならば、当然その国の特性のようなものをある程度分析、配慮していると考えるのは妥当だろう。というわけで外国からの目線で「日本人はこのように捉えられているんだな」と納得させられるようなところはあった。
それはどういうものかというと、先日のドイツと比べてみれば分かりやすいのだが、日本人に向けては「全然煽ってこない」という点で、少し前の「真珠湾攻撃」の時に顕著に現れていたように、はっきりした歴史的な出来事を出すと妙にセンシティブな反応が返ってきてしまうのをよく理解した上で練られていた。そんなわけで、出来事の名称を出さず、かつ現代の日本人が共有しているである記憶をキーワード単位でちりばめているところが、サンプリングっぽい方法論だな、、と思った。
自分などはついつい日本インターネットの世界観で物事を捉えてしまいがちで、ネットだけ見ていると左右問わず急進的な意見ばかりが目立ってしまうのだが、その外には広大な人々の世界が広がっているわけで、ゼレンスキー的には当然、それら全体にまで届ける必要がある。そこで導入されたのが、具体的(つまり、政治的)なアプローチを避ける、共感ベースの言葉であったことをどう考えればいいのだろうか。そして、現存しているこの感情や共感でできた共同体があるとすれば、これからどこに向かっていくのだろうか。