今日も相変わらず歴史の中に潜りたい

暗殺からの統一教会の件で、にわかに冷戦期日本の反共組織などに注目が集まっている昨今。国際勝共連合の結成は1968年。そこで想定されていた仮想敵は全共闘的なるものだった。現在、日本会議の事務総長を務める椛島有三長崎大学新左翼の学生たちとバトって1969年にに民族派の学生組織を作っている。『年表・サブカルチャーと社会の50年』を1968年から始めてるのはこの辺の裏テーマも込めてます。
さて、1973年、参議院議員自民党迫水久常の秘書を務めていた渡邉正次郎なる人物が、関東の暴走族を糾合して反共集団を作ろうと目論んでいたそうだ。当時都内で幅を利かせていた「極悪」というグループが声をかけられ、新宿の風林会館で会合を持ったそうだが、結局「極悪」は離脱。しかし「関東連合」なるワードはこの時期に発生していると考えられる。のちの暴走族が右翼的なアイコンをファッションに取り入れるようになったことにも影響関係があるのだろうか。
※さっき久田将義関東連合』(ちくま新書)を読み返してての発見であった。この辺りの系譜を詳しく追った本があったら読みたい! 教えてください。
 
歴史を知る醍醐味は、同時期に複数の全然違う出来事が後につながったり、もともと一体だったものが離れて今では全然別のものとして認知されていたりなどといった、無数の流れを知ること。その楽しさにハマると、「世界(もしくは日本)はひとつの悪の組織に支配されている」的な観念は正確でないことが分かるし、そもそもそのような観念に依拠すること自体がひどく退屈だと思えるようになる。
むしろさまざまな流れや偶然性によって左右されてしまうからこそ、世界というものはタチが悪い。そのタチの悪さに斬り込むために歴史に潜り込むのだが、パッと見あまり有効ではなさそうに見えるし、人目につかないので、注目されない。それでも構わないというところから始めたい。
今回の件で言えば、やはりずっと問題を追っかけてるジャーナリストの人たちはすごい。現場で発揮する力はもちろん、当然歴史にも精通している。改めて、尊敬してしまう。隠され、無視され、ごまかされていることを、ネットの波に流されずに正確に暴く、ジャーナリズムの力が試される時代に突入したと思う。