『年表・サブカルチャーと社会の50年 1968-2020〈完全版〉』発売しました。

『年表・サブカルチャーと社会の50年 1968-2020〈完全版〉』発売しました。

 

去年刊行したTVOD『ポスト・サブカル焼け跡派』。その巻末につけた年表を大幅に増補した内容です。1968年1月から2020年12月の間に、おもに日本で起こった出来事をひたすら記載しています。政治、経済、事件、流行、風俗、犯罪、思想、社会運動、雑誌、文学、音楽、漫画、アニメ、美術、映画、テレビ、インターネットなどなど。それらに対する自分の意見などは一切入れていません。とにかくデータのみです。B1サイズのポスターが4枚です。先日実物が届きましたが、予想以上にデカいです。普段B1の紙を見る機会というのはなかなかありません。よく大きめのポスターとしてイメージされるのがB2だと思われますが、その2倍。4枚広げて合わせるとちょっとした看板くらいになります。発色がきれいなので、壁に貼ると部屋がよりオシャレになるアイテムでもあります。

 

年表が好きになったきっかけ

こんなブツを作ろうと思ったのは、ひとえに作っている自分自身が年表好きだからです。そのルーツを辿ると『こち亀』にたどり着きます。何が言いたいかというと……、『こち亀』というのは秋本治のマンガですが、そこでよくフィーチャーされるのが東京の「下町」です。小学校の頃、なんとなく僕はそんな古き東京の街並に憧れがあったので、両親に「江戸東京博物館」に連れて行ってもらいました。そこのミュージアムショップで購入したのが『江戸東京年表』(小学館)で、いまも手元にあります。これを僕は読み込みすぎて、カバーも取れてどっかに行ってしまいました。

ちなみに去年『散歩の達人』で取材頂いた際にも、この本を紹介しています。

『江戸東京年表』のなにがよいかというと、いわゆる日本史に残るような有名な出来事のみならず、当時の人々が何をしていたか、じつに細かい話題が、日単位で載っているところです。カッコよく言うならば、江戸のストリートが浮かび上がってくるような年表なのです。例えば、文化14年5月10日(旧暦。1817年頃)の両国では「大食い大会」が行われていて、蕎麦を63杯食べた人の記録などが残っています。また、朝顔が展示されてみんなで見に行くのが流行ったりしてます。いまで例えるならプロジェクション・マッピングを見るような感覚でしょうか。こんな内容が、刊行された1993年までズラッと並んでいます。

この本をきっかけに、年表を見るのが好きになりました。ほかにもさまざまな年表を買っては眺めるのはもちろん、自分でも、印象に残った出来事などをポツポツとメモるのが趣味のひとつに。今回発売された年表は、その集大成でもあります。

 

歴史のなかに遊ぶ

『年表・サブカルチャーと社会の50年』は、日本で起こったさまざまな出来事と一緒に、その頃リリースされた音盤や本などの情報も入っています。そこで意識していたのが『江戸東京年表』です。「大食い大会」が江戸の庶民たちに与えたインパクトと同じように、現代を生きる私たちのなかにも、それぞれ心に残っている本やCDなどがあるはずで、それらと当時の事件などを重ね合わせると、単に頭のなかに入っていた出来事が、より立体的に感じられるのではないか、というねらいがあります。まずは自分の生きていた時代を思い出して「なつかしい〜」という気分になれる。それに加えて、発見もあるはずです。日頃世の中に関して考えていたことのルーツを思わぬ年代に見出すことができたり、現代が「こうなっている」のは過去のこんな出来事の影響があるのか、と腑に落ちたりするかもしれません。

 

現代は、SNSに象徴されているように、膨大な情報が眼前に流れてきては消費され、ほぼ忘れ去られてしまうことの繰り返しです。そんな「タイムライン」を全部覚えて言及できる人なんていないので、忘れてしまうのも仕方ないです。しかし浴びまくっているうちに疲れが蓄積されて、気づけば毎日モヤモヤしているというパターンにも陥りがちです。かくいう自分もそういうところがあるので、それらへの打開策として年表を作っているようなフシもあります。一見、全く現在と関係なさそうな過去の「タイムライン」を見ることで、現在の出来事と比較したり、現在へのヒントを見出すことができます。この「おうち生活」で移動もままならないなか、生活をより有効活用するために、過去に「移動してみる」というのもよいと思います。

 

さて、いろいろと書きましたが、じつは『江戸東京年表』の前書きに、自分が言いたいことが的確に集約されてもいるので、そちらを引用したいと思います。

 

「年表を読む楽しさを身につけることは、時代の闇に閉ざされた世界に気づかせ、歴史に遊ぶ心を豊かにし、鋭い時代感覚を研ぎ澄ませてくれます。こうした感覚こそは、時代に流されがちな日々をして、歴史を場とした自己のあり方を検証するうえで欠かせません。読者は、遊び心をもって年表を見るとき、歴史の小径を逍遥することが可能となり、一歴史家として、ひとつの時代像をつかむことができます。」

 

この「歴史に遊ぶ」というのが重要だと考えています。まずは年表によって気軽なテンションで入り、より奥へ分け入りながら(深く調べながら)シリアスに分析していく。今後の自分の課題でもあります。