2020年よかった20曲

タイトルそのまま、今年よかった曲を羅列してみました。初めてこういうのをやってみたのですが、めちゃくちゃ疲れる! あまり肩肘張らずに素朴に書いてみました。旧譜もいろいろと聴きましたが、2020年リリースに絞っております。どうぞよろしくお願いいたします。

 

Matija Strniša - Butterflies

キム・ボラ監督、映画「はちどり - House of Hummingbird」のサウンドトラックより。抑制されながらもズシンと重圧がかかるような感覚が忘れられないが、音楽も効いていた。ベルリンの映画音楽作家で、ゼロ年代前半のエレクトロニカを思い出させる、箱庭的で少しだけエモーショナルな作り。

 

 

Shabason, Krgovich & Harris - Osouji

カナダのJoseph SabasonNicholas KrgovichChris Harrisのユニット。スピリチュアルな趣がありつつ、ディープに行き過ぎないというのが今年のモードかな~という気にさせられる、ステイホーム・アンビエント。「おそうじ」だと思ったら「大掃除」だった。というわけで年末に。

 

 

 

Sunset Rollercoaster - Under the Skin

台湾のバンド、落日飛車。もはや説明不要か。毎回MVが奇妙な味わいなのも好き。

 

 

Marker Starling - Drop And Pierce

カナダのソングライター。普段はトロント国際映画祭のスタッフをやったりしているそうだ。アルバム “High January”は、滋味深い楽曲が詰まっていてよく聴いた。とにかくメロディがいい。


 

Sam Wilkes - Alma

2018年の“Wilkes”で、いまジャズってこんなことになってるのか! すごいな~! と素朴に思ったのだった。こちらはライブ盤。というか改めて調べ直したら2019年リリースだった。。が、どうしても入れたいので入れます。


 

Mac Miller - Blue World

2018年に急逝する前の録音を、ジョン・ブライオンが仕上げた。ほとんど70年代のシンガーソングライターのアルバムを聴いているような、そっと寄り添ってくれるような楽曲群。緊急事態宣言下によく馴染んだ。

 

 

Loving - Visions

70年代っぽさといえばこちらも。現行のインディ潮流と往年のソフトロックがまったりと交錯する。こちらもカナダのバンドだ。カナダ率の高さよ。

 

 

 

김뜻돌(Meaningful Stone - 삐뽀삐뽀

韓国の김뜻돌さん。2年前に発表された曲で、ローファイな味わい+MVが楽しいのだが、今年改めてシティ・ポップなアレンジでアルバムに収録。どちらも好き。YouTubeで検索すると本人による「歌ってみた」的動画がたくさんあり、どれも洒脱で唸らされる。


 

 

Kaede - さよならはハート仕掛け

NeggicoKaedeさんソロアルバムに収録。Lampの染谷大陽とウワノソラの角谷博栄がプロデュースしており、二人らしい美学に貫かれていて安心して聴ける。ジャケットまでトータルで素晴らしい。


 

Jenevieve - Baby Powder

以前、韓国の友人のインスタストーリーを見ていたら、杏里“Last Summer Whisper”のトラックをそのまま使って全然違うメロディで歌ってる曲が流れてきて、めちゃくちゃイイ!一体誰がやっているんだと探して出てきました。ロサンゼルスで活動するシンガー。

 

 

Tom Jarmey - Twilight Zone

12inchB面に入っている系で、ハウスの人が作るブレイクビーツのトラックが好みなんですが、そのテイストに近い。ローファイ・ヒップホップよりいくらか芯が太いくらいがちょうどいい。

 

 

 

DJ Python - Pia

90'sアンビエントレゲトン、つながるきっかけも何もかもなさそうな2つを合体したら完全にどこにもないものが出来てしまった。掴み所もなく、夢を見ているようだけど、リズムによって辛うじて迷わず歩むことが出来ているといった感じ。


 

 

Kate NV - Not Not Not

ロシア・モスクワで活動するケイト・シロノソヴァによるプロジェクト。80年代日本の表象や坂本龍一的ポップスを愛しているのはMVなどから伝わってくるが、ほかにも80年代ソ連のエレポップからの影響があるみたい。リズムが面白いこの曲を推したい。


 

 

이날치(leenalchi - Tiger is Coming

ニューウェイヴ・ファンクな演奏のうえで、パンソリ(韓国の伝統芸能)を取り入れたボーカルやラップが繰り出される。DJでかけるならテクノと混ぜたらカッコいい気がする。Ambiguous Dance Companyというグループを従えたこのライブ動画がクールなのでぜひ。

 

 

Dan Kye - Rainbow Road

90年代のアシッド・ジャズを聴き返したり、その系譜にあると思われる新譜をチェックしていて知った楽曲。ハイブリッド。

 

 

Odunsi (The Engine) - Luv in a Mosh

ナイジェリアのAltéというムーブメント(音楽ジャンルというより、精神性のようなものといえばよいのかな?)を解説したこの記事が素晴らしく、僕もいろいろと聴くようになりました。いろいろ良いけど代表してこちらを。


 

 

⣎⡇•̛) ৣৢ؞؞ؖ -  ̟̞̝̜̙̘̗̖҉̵̴̨̧̢̡̼̻̺̹̳̲̱̰̯̮̭̬̫̪̩̦̥̤̣̠҈͈͇͉͍͎͓͔͕͖͙͚͜͢͢͢͢͢͢͢͢͢͢͢͢͢͢ͅ  ఠీ೧ູʅ͡͡͡͡͡͡͡͡͡͡͡(ƪ⊁◞..◟⊀ ̟̞̝̜̙̘̗̖҉̵̴̨̧̢̡̼̻̺̹̳̲̱̰̯̮̭̬̫̪̩̦̥̤̣̠҈͈͇͉͍͎͓͔͕͖͙͚͜͢͢͢͢͢͢͢͢͢͢͢͢͢͢ͅ

例によってFour Tetの読めないシリーズだが、今年のニューアルバムもよかった。上ものがどこか90年代日本のテクノのようなエヴァーグリーンさを醸し出している。

 

 

Mark Archer - Pump It

Altern 8のメンバーだった人による、まんま90年代ハードコア/レイヴな12inchLuke Vibertとのスプリット。この曲はレイヴというより最早ジャジードラムンベースになっており、リバイバルもここまで来たか……。という気分にさせられる。

 

 

Y2K92 - Bi-Elijah

ソウルからのオンライン・ライブで見て衝撃を受けた曲。キャッチーなメロディと激しすぎないドラムンベースで、ノスタルジーを喚起するような不思議な魅力がある。この曲も収録されている “‪The Songs for the NOT-YETs‬” はほかにもSalamandaHWIなど、韓国・ソウルのアンダーグラウンド最前線を記録した名コンピ。


 

 

실리카겔 (Silica Gel) - Kyo181 

最後はこちら。以前twitterにも書いたのですがなんとなくTOKYO NO.1 SOUL SETJr.』あたりを思い起こさせる。似ているというわけじゃなくて、才能ある若者たちが出会い、そのときその時代にしか出せないであろう音楽が刻印されている感じ……。それが現在のソウルにはある。とにかく聴いてほしいです。


マスク・カルチャー

今年の〆として(?)速水融『日本を襲ったスペインインフルエンザ』(藤原書店)を読んでいる。2020年ではなく、およそ100年前に世界中で巻き起こったパンデミックについてまとめた本だ。当時と現在ではテクノロジーは雲泥の差だが、政府が「マスクをしよう」とか「うがい手洗いをしよう」と呼びかけている点は変わっていないのが感慨深い。100年前もいまも、みんなマスクをしている。

 

とにかく、今年はマスクに拘束され、マスクに翻弄された。職場でもつねに着用するよう義務付けられているのだが、昨日は耳にかけている紐が切れてしまい、予備も持ってなかったので、参った。セロハンテープで処置してみたけど上手くいかない(結局、同僚が予備を持っていたので解決)。マスクがつけられないというだけで、自分がかなり動揺していることが分かった。これはどういうことか。「スマホの充電が切れる」と、何か息苦しいような気分になるのに近いかもしれない。ここ10年ほどというもの、スマホはほとんど身体の一部のようになっているが、今年からはマスクまで加わってしまった。

 

欧米などではマスクを着用する習慣がなかったので混乱をきたしているという報道をよく見るけど、日本だとCOVID-19の前段階から、マスク率がめちゃくちゃ高かった。別に風邪を引いてなくてもマスクをつけるというのが非常に奇妙だと思っていた。当時テレビの街頭インタビューだったか、青年が「表情が隠れるのがよい」と言っていて、マスクをつけることの煩わしさより表情を気にすることのほうが勝るのかと軽く驚いた。マスク・カルチャーがスムーズにCOVID-19に対応したのでよかったが、僕はいまだに慣れない。耳も痛くなるし、困る。と、ここまで書いて、自分は3歳からメガネをかけていたことに気付いた。完全に忘れていた。これこそ身体の一部だった。

デヴィッド・スタッブス『フューチャー・デイズーークラウトロックとモダン・ドイツの構築』

デヴィッド・スタッブス『フューチャー・デイズーークラウトロックとモダン・ドイツの構築』。年末年始に読もうと思って買ったのだが、うっかり読み始めたら夢中になってしまった。長い「プロローグ」で、戦後ドイツからクラウトロック誕生までーーつまり1968年前後までのーー西ドイツの通史がまとまっている。ざっと読み始めて思ったのは、わりと日本の戦後〜全共闘あたりまでの時代と似ているということだ。そもそもどちらも元枢軸国であり、戦後は地理的に「東側」との境目に位置したというのもあり、ヨーロッパはマーシャル・プラン、日本は日米安保の下に置かれた。つまり「アメリカ」が流入した。そして、二国とも60年代までにGDPトップまで成長している。バーダー・マインホフや連合赤軍日本赤軍のようなコマンドを生み出してしまったこともよく知られている通りだ(70年代は同じく元・枢軸国であるイタリアでもテロリストが猛威を奮った)。

とはいえ異なる部分もある、確実にある、というのはやはり、現在のドイツと日本の文化や政治状況が(どっちが良いとかといった判断は保留としても)わりと異なっていることから感じる印象でもあって、それが具体的に何なのかというのはまだ掴みかねるのだが、イルミン・シュミットの発言から読み取れる、十二音音楽、つまり物語性のある音楽をスターリニズムだと捉えていた、というのはわりとヒントになるかもしれない。スターリン主義の否定は日本の新左翼にとっても喫緊の課題だったが、それを理論的レベルに留まらず音楽にまで徹底した試みは日本にあっただろうかと考えを巡らせてしまう。

 

取り急ぎメモ。正月までに読もう。

バズをあきらめて・その後

感染者増加が止まらない。とにかく参った。単に体感で記すならば、電車の人口はここ1ヶ月ほどで増えている。しかしこれも、自分が帰宅する時間と、年末で忙しくなってきたので普段は早いけど残業してる人が帰る時間が合流しているだけかもしれない。つまり、自分には何も分からないということだけが分かるので、微かな無力感がある。政府はとくに大きな対策を打たなくなってしまったが、無力感っぽいテンションのままずっと放置されているような気分になる。結局は自分で考えるしかないのだ。「自由」についてはあとで書く予定。

 

ブログはもうバババっとメモを書き散らすようなつもりで書いている。そのくらいの気持ちじゃないと続かない。手書きだったらもっといいかもしれない。先日、iPadのペンシル機能にひかれ、必要になるような案件もあるし、今年の年末はそんなに浪費しなさそうだしということで思い切って買おうとしたら、折からのコロナ需要でどこもかしこも在庫なし、入荷も滞っているとのことだった。

ちなみにTwitterについては、がんばっていた頃は(そんな頃もあったのだ)1つ1つのツイートを丹精込めて作り、「行けー!」と念じながら投下していたが、それらがバズったりすることはほぼなかった。いまはメモ以前の思考のかけらみたいなのをポツポツと書くようにしている。

黒パンという駄菓子

駄菓子の卸売店にインタビューした記事を読む。僕が小学生の頃は何軒か残っていたので、駄菓子についてはわりといろいろな記憶がある。「黒パン」が好きだったなあと思い出し、どんなんだったかなとググってみたけど、記憶と完全に一致するものは見つからなかった。黒糖を練り込んだ固いパンで、一個ずつ袋に入れて売られていた。地味な食品なので周りの友達は手に取らなかったが、これが渋いと思って食べていた。先日書いたマックスコーヒー然り、子どものころの記憶、そんなんばかりだ。自分らしさを確立しようと懸命になっていたのかもしれない。むしろいまのほうが意識が低くなっている。

 

のちにどこかのタイミングで、ロシアでは「黒パン」が食べられていると知り、あれをいつも食べているなんてうらやましいなと思ったが、ライ麦パンなので全くの別物だ。

 

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%A4%E8%A3%BD%E8%8F%93-%E3%81%A0%E3%81%8C%E3%81%97%E6%A8%AA%E4%B8%81-%E9%BB%92%E3%83%91%E3%83%B3-190g%C3%9710%E8%A2%8B/dp/B010LUU8TQ

 

これが比較的近い。

毎日のディスタンス

週末はドタバタでブログ更新が途絶えてしまった。韓国から日本に来ている友達の家で、少人数のディスタンス・パーティをやったりしていた。ポッサムをつまみながらビールをゴクゴクと飲む。アミエビの塩辛(セウジョッ)があったのが嬉しかった。刺激的な塩辛さがあまりほかにないタイプの調味料。新大久保で売っているらしいので僕も買って家に導入しよう。韓国といえば!のチキンもご馳走になった。カンジャンを絡めると美味しく、無限に食べられる。カンジャンとは塩味の「醤」で、日本の醤油に似てるけどちょっと甘みとコクが強い感じ。ありがとうございました。

 

今日は用事があって新宿を歩いていたのだが、人出が多すぎて面食らった。自分も出歩いているので責めようがないのだが、これでは感染拡大は止まらなさそう。緊急事態宣言のときは、政府が一声かければピタッと従うのが日本だなと考えていたが、逆に一声かけない場合はみんなかなり自由に振る舞ってしまうのだなと実感する。やたらと甘いものが欲しい気分になり、スターバックス・コーヒーで極度に甘い飲み物ーーキャラメルフラペチーノを買って帰宅。

寝巻きとしてのアンビエント

2010年代に入ってからというもの、やたらとアンビエントばかり聴くようになっていまに至っている。ウェルネス……といえばいいのか、身体的な安定や充実に対してはてんで無頓着な自分だが、耳だけはそのようなモードになっているようだ。アンビエントといっても「これがアンビエントだ」と銘打って作られる音楽と、とくにそういう打ち出しはしてないけど「そういうもの」として聴ける種類の音楽があり、いちおう自分のなかではそれらを一緒くたにしてアンビエントと呼んでいる。時代によってわりとテイストが違っていて、いろんな方向性があるけど基本的には安らぎを目標設定としているという点では一致しているというのが好きなところだ。しかし、例えばBURZUMなどをアンビエントに入れるならばその基準も適用できるかどうか危ういので、便宜的な解釈でしかないとも付け加えておく。

なかでもよく聴いているのがHarold Buddの“The Pavilion of Dreams”(1978)で、これがいちばん自分のなかでしっくり来ていて揺るがない。あまりにもしっくり過ぎてオールタイム・ベストだとすら認識していなかった。もはや寝巻きとか、お気に入りのコップみたいなものになっているかもしれない(『家具』だ)。ジャズ要素が強いし、もっとボンヤリと形容するならば、官能的なところが好きなんだと思う。12月8日、Covid-19による合併症のために逝去したとの報を受け、ようやく振り返ることができた。これからも聴きます。安らかに。