マスク・カルチャー

今年の〆として(?)速水融『日本を襲ったスペインインフルエンザ』(藤原書店)を読んでいる。2020年ではなく、およそ100年前に世界中で巻き起こったパンデミックについてまとめた本だ。当時と現在ではテクノロジーは雲泥の差だが、政府が「マスクをしよう」とか「うがい手洗いをしよう」と呼びかけている点は変わっていないのが感慨深い。100年前もいまも、みんなマスクをしている。

 

とにかく、今年はマスクに拘束され、マスクに翻弄された。職場でもつねに着用するよう義務付けられているのだが、昨日は耳にかけている紐が切れてしまい、予備も持ってなかったので、参った。セロハンテープで処置してみたけど上手くいかない(結局、同僚が予備を持っていたので解決)。マスクがつけられないというだけで、自分がかなり動揺していることが分かった。これはどういうことか。「スマホの充電が切れる」と、何か息苦しいような気分になるのに近いかもしれない。ここ10年ほどというもの、スマホはほとんど身体の一部のようになっているが、今年からはマスクまで加わってしまった。

 

欧米などではマスクを着用する習慣がなかったので混乱をきたしているという報道をよく見るけど、日本だとCOVID-19の前段階から、マスク率がめちゃくちゃ高かった。別に風邪を引いてなくてもマスクをつけるというのが非常に奇妙だと思っていた。当時テレビの街頭インタビューだったか、青年が「表情が隠れるのがよい」と言っていて、マスクをつけることの煩わしさより表情を気にすることのほうが勝るのかと軽く驚いた。マスク・カルチャーがスムーズにCOVID-19に対応したのでよかったが、僕はいまだに慣れない。耳も痛くなるし、困る。と、ここまで書いて、自分は3歳からメガネをかけていたことに気付いた。完全に忘れていた。これこそ身体の一部だった。