平成の思い出 <2>

僕がフィッシュマンズ『宇宙 日本 世田谷』を購入したのは、宇宙 日本 茨城県の、栃木県の県境にポツリとある無人駅の付近にそびえ立つーーというより広大な土地の平面上にぐにゃりと広がるように建設されたショッピング・センターのなかに入っている、BOOKOFFだった。たしか中2だったので1998年だと思う。それ以前から、家庭にケーブル・テレビが導入される恩恵を受けていたため、スペースシャワーTVで繰り返し流される「MAGIC LOVE」のMVはすでに見て魅了されていたし、たしか何かの番組のジングルにもフィッシュマンズの楽曲が使われていた(『LONG SEASON』の一部抜粋だったかもしれない)。『Quick Japan』やその他音楽誌のインタビューも読んでいたため予備知識はバッチリだったが、肝心のアルバムをちゃんと聴いていなかったのだ。周りに同じような趣味の友人は皆無だったので、自分で買わない限りアルバムは聴けなかった。
 
当時フィッシュマンズを聴いて何か批評めいたことを考えるという発想はあまり頭のなかにはなく、どちらかというとテクノやヒップホップに興味があったので、その音響に耳を澄まし、身体を動かす対象として捉えていたように思う。という姿勢を取りつつも自分にとってテクノともヒップホップとも違う新鮮味があったのも事実で、それには二つの理由がある。
 
ひとつは、ダブという音楽的手法を(言語レベルではなく)身体で実感した、その入口になった点。こと日本の茨城国カントリー・サイドにおいてレゲエ・ミュージックは普及していなかった(ジャパレゲが地方にまで普及するのは僕が大学に入ってから、2000年代前半くらいだった)。かなり遠くにある音楽という意識があり、佐藤伸治没後、『Temple of Dub』というコンピレーション・アルバムがリリースされて、水墨画風のジャケットがカッコよく試聴機で聴いてみたけどまだまだ自分には会得できなかった。Dry & Heavyや、クボタタケシなどに並びインドープ・サイキックスの楽曲が収録されていたのだが、これがずいぶんと激しいIDM的なアプローチで、これもそれもダブというのはいかなることかと首を傾げたものだった(最近ようやく買って愛聴しています)。ようやく「完全に理解した」と思えたのは実際にクラブに行ってサウンド・システムの前で躍り狂うようになってから。その点フィッシュマンズはなによりもメロディアスで聴きやすかったのだ。
 
ふたつめは、歌詞の存在感。当時の自分はラディカルでありたいという自意識を持て余していたので、歌詞なんて必要ないと思いながらテクノなどを聴いていたし、同時代の日本語ラップブッダ・ブランドを頂点とするリリックの実験の反復のなかからナンセンスな詩が繰り出される状態が素晴らしいと思っていた(日本語ラップが持つ叙情性などが着目されるのは、これもまた2000年代前半からだろう)。『リトルモア』『文藝』など文芸誌を読んでいるとそこでもNIPPSが「知ったフリしろ」「意味はなくていい」といったメッセージを打ち出していたのも大いに励みになった。そんなスタンスをとっているつもりだったのだけど、フィッシュマンズに関しては、歌詞がことごとく刺さってしまうので、ちょっと困った。
 
実際に『宇宙 日本 世田谷』の展開に引き寄せて考えてみる。「POKKA POKKA」「WEATHER REPORT」を入口として、「IN THE FLIGHT」で足がすくんでしまうような感覚に陥る。これはよく言及されるけれども「僕はいつまでも何もできないだろう」というラインだ。活発に(ひとりで)図書館の本を読みあさっているような中学生がこの歌詞にぶち当たり、自分なりに解釈するのはなかなかの困難を要する。ただし、曲が終わり、次の「MAGIC LOVE」で一息つくことができる。ステッパーズ・リディムのキュートなラブ・ソングで、なんだかんだで僕は最初にスペースシャワーTVで聴いたこの曲がいちばん好きなのだ(いまもってそういうところがある。ポップ・ミュージックに何か崇高さを求めるという振る舞いを回避しようとするような。)さらに続き、「バックビートにのっかって」は、当時の時点で耳に馴染んでいたブレイクビーツにふんだんなダブ処理が施されていて、いつまでもこの曲が続いてほしいと思ったものだった。
 
購入したBOOKOFFを筆頭に、『宇宙 日本 世田谷』は自分の見た風景と結びついている。それが世田谷の風景ではなかったという事実が自分にとってフィッシュマンズを解釈するときの特異点となっている(なんて文章をいま、世田谷区で投票を済ませてから書いている)。さらに言うと、自分がさほど「経験していなかった」といえる1990年代は、BOOKOFFなどの風景として「経験」されている。『宇宙 日本 世田谷』が1枚「ささっていた」BOOKOFFのCD棚をありありと思い出すことができる。大量の「やまだかつてないCD」が廉価で並んでいるし、書籍コーナーに目を向けると小室哲哉がさまざまな人と対談したシリーズや、シドニイ・シェルダンの禍々しい明朝体の背、その古色蒼然とした存在感は、「何もできない」中学生の閉塞感を倍増させていた。外に出るとめちゃくちゃに広い駐車場があり、そこを自転車で突っ切りながら家に帰る。高校に入ってからいつものようにその駐車場を走っていると、二人乗りをしたヤンキー中学生が横付けしてきて「千円貸して〜」とカツアゲしようとしてきたので慌ててペダルに力を込め、追いかけてくるバイクよりも速く、走り抜けたこともあった。情けないことこのうえないのと同時に、バイクよりも速い自分自身に爽快感を覚えていた(向こうもめんどくさくなっただけだけど)。フィッシュマンズはそのBGMとして鳴っていたのだった。
<たぶんつづく>

読書メモ 2021.6.27

百木漠「スマホとデジタル全体主義」(『世界』2021年7月号)を読む。

「二一世紀には、資本主義と全体主義だけでなく、データ主義が人間文明にとってのあらたな脅威となる可能性がある」

という指摘が面白い。20世紀は資本主義と全体主義が、人間の活動を大きく展開させた。データ主義とはつまり人間がスマホに自らのデータを手渡して、それを受け取り続けるプラットフォームの無限の拡大、強化されるアルゴリズムにより人間に影響を与えていくという無限の運動で、それは資本主義と全体主義とは別というより、二つの要素がより徹底され、パワーアップしたバージョンとして捉えることもできそうだ。

ここで忘れてはならないのは、資本主義と全体主義の運動に対して、共産主義的な運動もまた、人間を駆動させていたという20世紀の歴史だ。本論でも「デジタル技術は資本主義的にも共産主義的にもなりうるはずだ」と指摘されているが、インターネット上において情報はただ搾取されているのみではなく、溢れ出すことで情報を共有するツールとしても使える可能性は残されている。というかインターネット初期に目指されていた可能性とはそういうものだったはずだ。

とはいえ現在のネットを見る限り、そもそも情報を共有したり、それを活用するという行為自体が無効化しているような側面もある。エコーチェンバーと言われる通り小さなコミュニティのなかで同じような情報がぐるぐる回っているだけなんだけどそこのなかでの満足度は高かったりするような状況が各所で見られるし、なかなか厳しい状況だなとも思う。

 

本論とはすこし離れるけれども最近考えているのは、特にスマホ以降に人間の思考の方法、というか思考を他者に向けて表現するような方法論自体が大きく変化している可能性だ。むろん、あまり良い方向に変化しているとは思っていない。そして、当然ここでこんな文章を書いておそらくこれから告知をする自分も変化の渦中にいる。となると「自分について書く」こともまた、現代の世界を描くことに直結するのではないかという気がしてくる。「自分の話をする」のがいいかも。

「年表・サブカルチャーと社会の50年」展 プレイリスト

先週は「年表・サブカルチャーと社会の50年」展 at 美学校スタジオ お越しいただいた皆様、気にしていただいた皆様、ありがとうございました!
徐々にパーティー感も出てきて、とても楽しい時間でした。

当日、会場で「1968〜2020年までのトップヒット曲」と「1968〜2020年までのパンス個人的に推したい曲」をかけるという試みにチャレンジしまして、無事最後まで踏破できました。せっかくなので、リストを共有します。

 

美学校 5/16 - Google スプレッドシート

※「トップヒット曲」はオリコンチャートを参照しました。オリコンはちょうど1968年からカウントが始まっているのです。

 

そして、せっかくなので「個人的に推したい曲」のレビューを書きました。全52曲。。パンス年表には掲載されていないものも多いんですが、片手に持ちながら聴けば(片手で持てないくらい大きいんですが、、)同時代の雰囲気を感じ取れるはずです!

ちなみに1997年くらいから実在パンスの物心がつき始めるので、レビューに自分語り要素が入ってきます。ご容赦ください。

 

ヒデとロザンナ「何も言えないの」(1968)

1968年、ジャックスとどっちにするか迷ったんですが、当時の歌謡曲が持つグローバル性を示すためにこちらに。ボサノヴァです。

 

中山千夏「ZEN ZEN ブルース」(1969)

いまではリベラルと呼ばれがちですが、60〜80年代くらいまでは自民党に対抗する(社会党を筆頭とする)野党勢力は「革新」と言いました。人気歌手だった中山千夏は、70年代に政治の道に進み、1977年に革新自由連合のメンバーとして参画します。ほかには永六輔野坂昭如加藤登紀子などを擁しました。知識人やカルチャーの側から政治に参加していった当時の流れは、いまこそ参照されるべきではないでしょうか。

 

ボニーとクライド「もしも」(1970)

『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』に収録。ブレイク前の吉田拓郎の楽曲が収録されたコンピとして知られていますが、この無名のデュオによる曲が良い! いまだとアシッド・フォークと形容されるような感じです。ほか、新宿フォークゲリラによる生々しい実況録音が収録されたアルバムです。

 

はっぴいえんど「風をあつめて」(1971)

言わずもがなの有名曲。高校の頃日本のフォークが好きになって、「Q盤」(という再発シリーズがあったのでした)を集めていたんですが、『風街ろまん』は異様にヌケ感があるというか、アングラ性が削ぎ落とされているように聴こえて驚いたのを覚えています。実験性も高い。以前も書きましたが、全共闘的な観念論と当時流行の小説(大薮和彦とか)のアマルガムを描いた宮谷一彦というマンガ家をジャケットに起用した点が気になっています。このあたりについては引き続き折を見て書きたい。

 

あがた森魚「君はハートのクイーンだよ」(1972)

シティポップの前に大正ロマンというのもあったよと『乙女の夢儚』をピックアップ。はちみつぱいとの絶妙なコンビネーション。

 

岡林信康ホビット」(1973)

タイトルは岩国にあった「反戦喫茶」から(パンス年表にも記載)。岡林信康はこの開店にも参加し、当然周囲からはBIG-UPされ、シンボル的存在だったわけですが、集まる運動家の集団性を揶揄するようなリリックです(ラップというか語り調の曲)。「政治的」とざっくり括られることの多い日本のフォーク・ソングですが、葛藤が刻み込まれた曲も多いことを示したく、かけました。

 

キャロル「甘い日々」(1974)

幅広い音楽性を持つキャロル(『焼け跡派』でも言及しました)。ボサノヴァにチャレンジしており、とても柔らかい、のちソロとなる矢沢永吉が持つメロウ性の端緒となるような曲。クレイジーケンバンドのカバーでも知られていますね。

 

SUGAR BABE「風の世界」(1975)

サブスクでは聴けないシュガーベイブ。僕は大貫妙子がボーカルを取る、70年代っぽい陰りを残す楽曲が好き。いまCDが手元になくなってしまったので確認できないのですが、山下達郎はそんなウェットな側面を打破したいと考えていたとライナーにあったと思います。でも個人的にはウェットなほうが好き。のち「都会」などに結実するような。

 

オフ・コース「ピロートーク」(1976)

シティポップになかなか含まれないけども、のちの小田和正が東京という都市を「シーンメイキング」(宮台真司)したことを考えれば最もシティだと思いますが、どうでしょうか。70年代のアルバムにはシティポップ的な要素がたくさん含まれているので、ぜひLPを買ってみてください。

 

風「おそかれはやかれ」(1977)

同じく、元・かぐや姫だからなのかシティポップ視されない気がする「風」。スティーリー・ダンなど同時代のロック/ポップ・ミュージックの影響が濃厚な名曲揃いですので、ぜひLPを買ってみてください。サニーデイサービスが好きな人にもおすすめ。

 

Le Mistral「青い地平線」(1978)

ブレッド&バターの別名義による7inch。流麗なメロ&ボーカルで、DJでかけたくなる一曲。ピッチ早めのディスコから流れ込むようにかけるのがイイです。

 

サーカス「六月の花嫁」(1979)

「Mr.サマータイム」がヒットしたコーラスグループ。強めにファンクなビートに楽観的極まりない歌詞が乗る、結婚式DJにうってつけ(ではないかもしれない)です。日本社会における恋愛の形を歌った記録として70年代だったらこれ、ゼロ年代だったらSPANK HAPPY「普通の恋」だと思います。何を言ってるのかと思われるかもしれませんが、聴いてみてください。。

 

SUZAN「魔法を信じるかい?」(1980)

テクノポップ/ニューウェイヴからも入れたかったのだけど、好きな曲がありすぎるので、結構削っちゃいました。なんとかこれを残した。高橋幸宏プロデュース、ラヴィン・スプーンフルのカバー。高校の頃モッズの友達がいて(水戸はなぜかモッズ・カルチャーが盛んだった)、ラヴィン・スプーンフルとかゾンビーズとか、マンフレッド・マンとかもちろんザ・フーをてんこ盛りにしたMDをもらって愛聴してた。なのでそこ入ってた楽曲のカバーは全部好き。

 

石川セリ「手のひらの東京タワー」(1981)

これもシティポップとして認めてほしい(しつこい)。ダンスフロアにはそぐわないかもですが、このビターテイストを最近は欲している。

 

杏里「Last Summer Whisper」(1982)

海外でもすでに人気、その後のR&Bを予見したかのようなループ感のあるトラックがたまらないですね。去年JenevieveというUSのシンガーが大胆にサンプリングしていました。

 

EP-4「Robothood Process」(1983)

会場では「Coco」をかけたのだけど、その12inch『Lingua Franca-X』は1984年リリース(ペヨトル工房より)だった。ミステイク! 細かいですがこだわりたいので、紹介するのは83年リリース『Lingua Franca-1』のこっちにします。オルタナティヴでありながら全体主義を匂わせるような表現はあのときあの時代の日本(と西ドイツか)にしか成立しえなかったもの。中沢新一佐藤薫や『HEAVEN』などを「下半身がパンク」と評していました。いっぽうで中沢自身や浅田彰は「上半身がパンク」だった。どっちも両立した存在はアルチュール・ランボーとかぐらいで、めったに出てこないもの、と。言い当て妙だと思います。

 

坂本龍一「A Tribute To N.J.P.」(1984

80年代初頭、佐藤薫とも共振する方向性を示していた坂本龍一が残したアルバム『音楽図鑑』より。ナム・ジュン・パイクに捧げられている。この、無調に近いけどメロディアスなフレーズをカマしてくるのが坂本龍一の真骨頂というか、パンスが好きすぎるポイント。清水靖晃と演奏している映像がYouTubeにあるのでそれも見てほしい。。

 

高橋幸宏「I Saw The Light」(1985)

YMOも入れなければと思いつつ選べなかったので坂本龍一高橋幸宏ソロを入れました。トッド・ラングレンのカバーで個人的には原曲超え。こういう淡々とした声が好きなんだなあと同じく原曲超えのKashif「真夏の果実」(後述)と並べて聴きたい。

 

日向敏文「新しい遊牧民」(1986)

のちに「東京ラブストーリー」などなど、人気テレビドラマのサントラを制作する日向敏文ソロ。リアルタイムではない僕の勝手な80年代イメージがここに集約されている。エレガントで無表情とでも言えばいいでしょうか。いまやニューエイジものとして海外で再発やコンピレーションも出ていますね。

 

少年隊「ミッドナイト・ロンリー・ビーチサイド・バンド」(1987)

1987年は(ニューエイジ的なもので)好きな曲が多すぎるので選ぶのが大変でしたが、これはニューエイジと関係ないけど外せないので決定。「君だけに」のカップリングで、筒美京平ワークス。胸をキュンと掴まれる、UKソウルの某楽曲風。朝方のクラブでも何度かかかっていたような記憶があるのですが、かかってたらいいなという僕の捏造された記憶かもしれない。

 

Pizzicato Five「惑星」(1988)

田島貴男在籍時『ベリッシマ!』より。オールタイム・ベスト。もう言うことは何もありません。いつかこんなバンドがやりたい。

 

鈴木さえ子「A RIPPLE」(1989)

いとうせいこう原作・市川準監督『ノーライフキング』サントラより。先日、柴崎祐二さんも紹介していました。イノヤマランド『ダンジンダン・ポジドン』を反転させた陰の側面というか、辿々しく不穏なんだけど心地よい電子音が、世界がまだまだ不透明だった子どもの頃の感覚を呼び起こします。好きすぎてこのあとずっとかけていたかった。。

 

浜口茂外也グループ「Pi Po Pa」(1990)

細野作品などでパーカッションを担当していた浜口茂外也によるアルバム。井上陽水の楽曲も最高ですが、エスニックなこちらを全力で押したい。その他のトラックもバレアリック好きに。

 

ゴンチチ無能の人」(1991)

つげ義春原作・竹中直人監督『無能の人』サントラより。いつものゴンチチの演奏に、硬いブレイクビーツが乗る面白いトラック。かつて、かせきさいだぁのインタビューで、デビュー前にゴンチチのトラックでラップしていたというのを読んだんですが、この曲かな? と思います。どうだろう。

 

宮沢りえ「心から好き」(1992)

ドラマ『東京エレベーターガール』サントラより。グラウンド・ビート&スムース・ジャズ歌謡としてこれ以上ないほどの完成度。こういう音楽がもっと存在したらいいのに。。アルバムには宮沢りえさんのナレーションも入っています。

 

Kahimi Karie「Take It Easy My Brother Charlie」(1993)

クルーエルからのコンピレーション『Hello, Young Lovers』より。アストラッド・ジルベルトのカバー。この頃は小学2年生だったので無論リアルタイムではないのですが、のちに渋谷系などを聴く際に触れて、こんなにカッコいい音楽が日本に存在するのかと震えた思い出あり。一般的なイメージとは齟齬あると思いますが、僕は「渋谷系」を「大人っぽい音楽」だと思って聴いてました。信藤三雄さんのアートワークとかも「大人〜!」と思って見ていた。

 

Tar-Tar「All Alone」(1994)

杉本卓也によるTar-Tar名義、ダブ・レストランからのアルバムに収録。日本の90年代テクノは大好きで、ほかの国と比べても独特のエヴァーグリーン感があると捉えています。

 

吉田美和「つめたくしないで」(1995)

こちらも柴崎さんが紹介していて「あー!そういえばいい曲だったような」と思って改めて聴きました。この年ナンバー・ワンが「LOVE LOVE LOVE」なので並べてかけたかった。

 

ARM「Armed Elephant」(1996)

TRANSONICのコンピ『TRANSONIC 6』より。サディスティック・ミカ・バンドのドラムを大胆に使い、当時隆盛を極めていたトリップホップと接続。アルバムも最高。中学校の頃『GROOVE』についていた付録CDに入っていたのがメチャクチャかっこよくて存在を知りました。

 

マチコミ with フリーボ「あたらしい」(1997)

Oz Discのコンピレーション『赤盤』より。フィッシュマンズ「Long Season」と並ぶ名曲だと思います。90年代後期の、すべてがフラットで、何もかもが選択でき、すべてを断定することなく、美しいイメージがひたすら繰り広げられるーー僕はいまでこそこうやっていろんなものをレビューしたり言葉を尽くしていますが、基本的には、そこでは示せない感覚というのが好きだし、自分がいろんな物事を知るうえでの原点です。

 

キリンジ「雨を見くびるな」(1998)

カラオケで歌う曲です。。このご時世でめっきり行かなくなってしまいましたが。つくば市のWAVEに1stの前のインディーズ盤が面陳されていて、試聴したのですが(その頃はよく試聴機にかじりついていたものでした)、高度すぎて中1には理解できなかった。いま思えば買っておくべきだったが。その後、かせきさいだぁのアルバムに入っているのを聴いて、徐々に好きになりました。

 

デイジー「静かに揺れて」(1999)

ミディから出ていた『Japanese Girls』というコンピより。ほかには空気公団、ストロオズ、エクレールなどを収録。駒沢公園(のちに知った)で撮られたジャケット写真も清々しく、東京はおしゃれだなと思って田んぼを自転車で移動しながら聴いていた。デイジーはこの頃何枚かCDをリリースしていて、渋みのある歌声が好きでした。

 

The Fox「Hashira」(2000)

山本精一コンパイル『トリビュート・トゥ・ニッポン』より。少しオリエンタルな雰囲気のある陽性のポップスで、いまこそ聴かれてほしい。UMMO Recordsから2枚CDが出ています。この頃の音楽って全体的にサブスクはもちろん、YouTubeにもないのでなかなか言及されないのがもったいない。。『トリビュート・トゥ・ニッポン』だと、宇宙エンジンの曲も好きですね。インキャパシタンツの小堺文雄氏による素朴な歌もの。

 

関美彦「New Music」(2001)

アルバム通して素晴らしい。なんとしてでも手に入れて欲しいです。「Diggin'on You」のカバーを聴いてくれ。。結婚式のDJでかけたりします。

 

パニックスマイル「夏なんです」(2002)

はっぴいえんどかばあぼっくす』という壮大なコンピレーションが出ており、その特典CDRに収録。ポスト・パンク的な隙間のあるドラムにあのメロディが乗るカッコ良さ。

 

ECD feat. イルリメ「トーキョートーキョー」(2003)

この年パンスが上京。右も左もわからないまま、大学で知り合ったサークルの人たちに連れられて、下北沢ベースメントバーでのカクバリズムのイベントでECDを見ました。「カクバリズムというレーベルがあるのか!フムフム!」と知識を得つつ、もともと大好きだったECDのライブセットがすごくアグレッシブで、その後ECDが出演しているライブにしばらく通うようになります。お客さんも含めた得体の知れない高揚感がありました。このライブ盤は、まさにその頃の実況録音。

 

都市レコード「恋にむせて」(2004)

そんな友達のひとりでバンドもやってた人から借りたCD。学生らしい茫洋とした気持ちにこの上なくフィットしてしまい、いまだに聴くと当時に飛ばされてしまいます。

 

口口口「雨のち Fall in Love」(2005)

同様に茫洋とした気持ちにフィットするのですが、こっちはアップリフティング。口口口はゼロ年代前半にエレクトロニカ的な楽曲をリリースしていましたが、それがいきなりポップに振り切れる、というのがこの時代のモードである(と当時パンスは評していたそうだ)。

 

Hidenobu Ito Feat. Urara Hikaru「Lover」(2006)

正確には2007年のコンピに入っているのだけど、2006年リリースの12inchに別バージョンが入っているので。当時はエレクトロニカというか、どんどんチョップ/エディットしていく音楽がクールだと思っていて、Hidenobu Ito氏も歌謡曲などをネタにそういった音楽を量産していて痺れていました。

 

imoutoid「ADEPRESSIVE CANNOT GOTO THECEREMONY Part 1」(2007)

上記のようなエレクトロニカの雰囲気がひとつ転回したなと思ったのがこの楽曲。Maltine Recordsのサイトからepの3曲を聴くことができますので、ぜひ続けて体験してみてください。

 

Microstar「東京の空から」(2008)

佐藤清喜氏率いるポップ・ユニット。この曲はだいぶ後になってから知ったクチです。2011年に出た「夕暮れガール」が身の回りで話題になっていて、虜になりました。

 

S.L.A.C.K.「I Know About Shit」(2009)

日本語ラップから気持ちが離れかけていたところに、ふとリリースされて驚いたアルバム。『空中キャンプ』には間に合わなかったが、このアルバムがあって良かった、と当時のパンスは居酒屋などで呟いていたはず。

 

寺尾紗穂「アジアの汗」(2010)

バブルの頃にアジア各地から流入していた建設労働者。東京という都市を、それまでのポップスとはまったく違った視点から描く手腕に感銘を受けました。

 

LITTLE TEMPO「ときめき☆リダイヤル」(2011)

収録アルバム『太陽の花嫁』はだいぶ後になってから、友達とドライブしているときにかかって「いいな〜」となった。衒いがなく、終始リラックスしたラヴァーズ・ロック/ダブで、いつでも聴ける。

 

NRQ「バラッド・フォー・メージャー・タカハシ」(2012)

ずっと好きなバンド。何年も前にストラーダとの2マンをやっていたがまた見たいな〜。遡れば70年代までいけそうな、日本のチェンバー・ミュージック、、といえばいいのか、難しいな、。コンポステラなどの音楽の系譜というのがずっと気になっています。

 

KASHIF「真夏の果実」(2013)

個人的には原曲を超えてしまっている。エモみを抑制することで「シーンメイキング」度が高まった。

 

辻林美穂「You Know…」(2014)

シティポップがブームになる前に、そのような流れが来ているんだな〜と感じたのが『Light Wave '14』というコンピで、そこに収録。なんとなく90年代J-POPの短冊CDのカップリングに入っている超名曲という雰囲気があり、絶妙なところを攻めてくる! とうれしくなった。

 

新川忠「アイリス」(2015)

これも絶妙なところ、The Blue Nile『HATS』感といえばいいのか、、に魅了されたパターン。2003年リリース『sweet hereafter』もハイブリッドな音楽性で素晴らしいです。

 

図書館「最終電車」(2015)

かつて(高校の頃)『インディーズ・マガジン』という雑誌の付録CDについていた田中亜矢「Sail」という曲が好きで、その頃からずっと聴き続けている。そんな田中さんがボーカルのユニット「図書館」ももちろんフェイバリットである。この曲が主題歌のアニメを観てみたい。誰か作ってください!
※現場で2016年として紹介しちゃったんですが、いま調べ直したら2015年リリースでした!すみません。でも好きなので入れます。

 

butaji & 荒井優作「あたたかい」(2017)

あるときサラッとネットに上がっていて聴いてみたら最高だった。Goodmoodgoku & 荒井優作『色』も聴きまくったが、木漏れ日感のあるこちらを選びました。

 

ODOLA feat. Kuro「Metamorphose」(2018)

この前年に初めて韓国に行く機会があり、すっかり夢中になってしまってそのまま韓国のR&Bやインディ・ポップばかり聴くようになってしまったため、日本の状況がほとんど分からなくなってしまったのだが、この曲は韓国R&Bとも比肩するトラックだな〜と思い、よく聴いた。「おわ、か、れ、さ」っていう日本語の乗せ方が好き。

 

Sweet William, 青葉市子「あまねき」(2019)

ビートの鳴り、トラックとヴォーカルのタイム感、全部に圧倒されました。

 

MANON, dodo, 藤原ヒロシ「Worlds End (Luv Step Remix)」(2020)

最後はこちら。藤原ヒロシによるグラウンド・ビート的なリミックス。原曲よりピッチを上げているのだが、MANONさんのラップがより鋭い印象に。dodoさんのリリックには感涙。

Twitter上で威勢のいい防衛大臣について

自衛隊大規模予約センターの不具合について報道したメディアに対し、防衛大臣Twitter上で抗議していた。しかもまあ、どだい無理な理屈で、各所からツッコまれつつも、一部「ツッコミに対するツッコミ」的な擁護の動きがある。この構図自体はよくあるパターンだ。

 

抗議の場所としてTwitterを選んでいるのが気になる。マスコミは欺瞞的であると名指し非難するという動きは、Twitterはもとより日本のインターネット上におけるオピニオンの常態であり、そのような傾向のあるユーザーに向けて書かれたと思われる。権力(今回の場合は防衛庁)に対する批判に対して、権力が恫喝のような振る舞いをすると喜ぶ人たちが一定層いるのだ。しかし当たり前だけど「一定層」でしかない。

 

政府がインターネットなる存在をどう捉えているのか、いまだによく分からない。今回は、いち戦略としてマスコミ批判をするネットユーザーの力を使いたいと判断したのか、それとも防衛大臣(とその周辺)自体が「一定層」のネットユーザーの思考を内面化しているのか、どちらなのだろうか。ちなみに安倍晋三前首相が件のツイートに引用で乗っかっていたが、彼の場合は間違いなく後者。取り上げられている問題そのものには関心なく、朝日とかが出てきたので叩いておきたいという一介のツイッタラーと同じ感情で動いていると思われる。「両者がどう答えるか注目。」とか言って完全にまとめ主のノリである。

 

むしろネットに対して少々敏感すぎると思えるくらいだ。別に励ますわけではないが、統治機構としてもうちょっとデーンと構えるような態度は取れないのだろうか。ちょっと批判されるくらいですぐに逆ギレしてしまうのは運営の不安定さの現れのようにすら見える。またはキレればどうにかなるだろうという怠惰さゆえか。なぜこうも鷹揚さがないのか。これもまた現代の日本社会らしさといえるかもしれない。

【書評】70数年の時空間を漂い続ける ―山本昭宏『戦後民主主義』―

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 戦後民主主義とは、日本独特の概念といえる。「戦後」は太平洋戦争後を指しているし、「民主主義」という言葉には、先の戦争の反省のうえで、かつ米国の占領下に展開された日本の体制、日本国憲法そのものでもある。以上の二点を抜けば定義は曖昧で、それゆえにさまざまな人が言及し、定義を試み、礼讃されたり、ときとして否定された。いまでは否定的に見られる傾向が強まっているのは、少しインターネットで検索をかけてみればすぐ分かる。しかし、それでも存在し続けている。70年強の長い時空間を漂い、無数のひとびとが(肯定するにしろ否定するにしろ)追い求めていた何か、といったところだろうか。自分も数年前に荒んだ政治状況に対して「戦後民主主義リバイバル」などとぶち上げたこともあったのだけど、リバイバルされる当の対象についていまいちど考えるための、格好の通史が本書だ。

 

 副題にある通り「現代日本を創った」といってよいだろう。その時代を生きた政治家、知識人、アーティスト、市井のひとびとに至るまで、どこかで戦後民主主義たる何かに触れていて、影響を受けているのは間違いない。個人的にパッと思いつくのは、手塚治虫のマンガで、戦争が終わるやいなや飛び上がって喜ぶ手塚自身の姿だ。とはいえ、実際はそんなすぐにみんなが飛び上がっていたわけでもなかった。手塚治虫も含め、映画や小説、その他さまざまな表現によって、徐々に「そういうイメージ」が作られ、その先に「戦後民主主義」が形成されていったのだ。ちょっとややこしいけど、要するに、あとから描き加えられていった要素も大きいのだ。また、それまでの抑圧からの解放・自由といった観念と民主主義という思想は結びついていたし、言い換えると、感情の反映でもあった。映画を例に挙げると、1946年に初のキスシーンが導入されたり(『彼と彼女は行く』1946年4月封切)、その後反戦映画が製作されたりする。

 

 いっぽうで、戦後民主主義自体に疑義を投げかける動きも同時進行で起こっている。ここがポイントで、例えばちまたの右翼の人たちは「いままでの」戦後民主主義はダメだから自分たちは否定するのだという主張をするけれども、そうではなく、上記したポジティブなイメージと批判的なアプローチは並行して発生しており、そこで繰り広げられる議論的な状況自体が「現代日本」であるという見方をすることができる。もっとも早い時期に提出され有名なのは、福田恒存「平和論の進め方についての疑問」だろう。1954年の時点においてパワー・ポリティクスに基づく「現実主義」的な理解によって「平和」を相対化するという論旨は、いまだにごく矮小化されたバージョンをSNSの無数のアカウントから拾うことができる。「現実が見えてない、お花畑だ」などなど。

 

 また、単に左右対立で済んでしまう問題でもないのが複雑だ。60年代にもっとも過激に戦後民主主義を否定していたのは全共闘らの学生たちだったし、いわば左右両方にとって、否定的に乗り越えたくなる課題のようにして存在していたのだった。あえて曖昧な言い方をするならば、「なんか変えたい」という意思を持った人たちにとって戦後民主主義は格好の対象となっており、それに対抗するためには守勢に回らざるをえない、つまり、「護憲」にならざるを得ないという構造ができているし、時代が経つにつれて構造自体がより強化されている。90年代だったら、佐藤健志「『中年オタク』の思想を排す」という論考では、ちょうど以前も取り上げた宮崎駿紅の豚』が、戦後民主主義の象徴として批判されている。そこでは「戦後民主主義とは、大人になることを拒否した、本質的にモラトリアム的な概念なのだ」と述べられる。「現実を見ていない」幼児性の象徴として民主主義が批判される、この構図はその後も拡大し続け、現状だと戦後民主主義/現行憲法否定の側の羽振りがよいのは知っての通りだ。

 

 と、一部ピックアップしてみたけども、その他膨大な記録を次々とくり出しながら描かれる軌跡は、それ自体がひとつの物語のようにすら捉えられ、読み応えが抜群である。しかも最後に年表も入っていて、年表マニアとしても大満足。読後思ったのは、肯定にしろ否定にしろ、さきほども書いたようにひとびとの感情が反映されているという点だ。美意識といってもいいかもしれない。「平和」「民主主義」を取るか、それへのアンチを取るか。例えば、自民党憲法改正に向けていろいろ差し込んでくるのをみるにつけ、いちばん現行憲法にこだわってるのは自民党じゃないのと言いたくなる。理屈を超えた執着を感じてしまい、そこがちょっと怖い(というかウンザリする)のだけど、なにかそれを駆動させる感情や美意識があるとするならば、それに対抗するすべは何か。いまのところ守勢に回るほかないのだが、それ以外の手法はないものかと考えてしまう。つまり「ラディカルな」戦後民主主義は可能なのか。壮大な目論見かつ、喫緊の課題かもしれない。

 

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【書評】時代の帰結であると同時に、次の兆候である ー磯部涼『令和元年のテロリズム』ー

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 現代とはいかなる時代か。インターネットを見ていると、毎日のようにホットトピックが流れてきて、それらに対するほぼ直感的な論評で溢れる風景が日常となって久しい。つい先日ーー世界的パンデミックが到来する令和2年の前年ーー令和元年に発生した複数の事件を分析した本書を、僕は上記の「日常」に対する抵抗の書として読んだ。

 

 現代をどう思考するか。それを正確に行うためには、過去をどう捉えるかと併せて、現在生起している出来事のなかに飛び込んでいかなければならない。その実践が記録されている。

 

 ここで「元号で考える」行為についても記しておきたい。日本は西暦以外に元号を導入している国だ。江戸時代までだったら何か災い(またはCovid-19禍の『禍』だ。)があったときなどに変更されており、その意味で、元号とはスクラップ&ビルド的なテーマ性を抱えている。歴史をあとからひとつのまとまりとして対象化し、あのときはこうだった、というイメージに昇華する作業はいまも行われている。最近だと「昭和グルーヴ」「平成レトロ」といったワードも見かけた。しかし、実際の歴史とは、膨大な人々とモノの動きが交錯し、前の時間からの連続性によって成り立っているのであり、ひとつに収斂させることはできない。僕が年表に拘っているのも、そのゴチャゴチャ自体を、シューゲイザーよろしく浴びるような体験に「歴史」を感じ取っているからだ。

 

 とはいえ、僕は「ひとまとまりの歴史」を一概に否定したいわけでもないのだ。元号としてくくられた時空間を生きた人々が、そこになにかの精神性を見出すというのは往々にしてあることだ。これは、元号に限らず西暦におけるディケイドでも起こる。さらに、元号の持つスケールが、実際の歴史の変化に妙に符合したりもする。

 

 吉見俊哉・編『平成史講義』(ちくま新書)の冒頭では、平成元年に起こった事件が、その後平成の30年間をあたかも規定したかのような、兆候的な現象として起こったという指摘がされている。当時世を騒がせていたリクルート事件は、ロッキードのような疑獄事件の延長と捉えられると同時に、実体経済からの遊離において、その後のライブドア村上ファンド事件のような性質を持っていた。宮崎勤事件が抱えていた虚構性もまた同様だ。その見立てになぞらえるならば、令和元年に起こった事件も、のちに振り返った時に「令和時代」を規定するようになるのかもしれない。

 

 同時に、ある兆候的な出来事を、それまで歴史が抱え込んできたものたちのある一点における帰結と見ることもできる。『令和元年のテロリズム』では、川崎20人殺傷事件、元農林水産省事務次官長男殺害事件、京都アニメーション放火殺傷事件をもとに、犯人とそれを取り巻く環境から、平成〜令和という期間にかけて、たしかに存在したものの、顧みられることのなかった凄惨な問題をいくつも浮かび上がらせている。それらは複数が交錯し、絡み合っているので、「これだ!」とばかりにまとめ上げるのは至難の技だ。重要な点をなんとかピックアップするならば、それは高度経済成長期以降の「家族」が持った閉鎖性と、中流意識のなかで隠蔽されていた経済的格差ということになるだろう。

 

 タイトルにある通り、これらの出来事はひとつのテロルとして表象される。一見、政治的テロとはかけ離れた行為かもしれないが、的確な指摘であると僕は思う。テロリズムが完全な個人意識の発露となったのは(名目上宗教的・政治的背景などを掲げつつも)欧米を席巻している個人テロにも見られる傾向だ。吉田徹『アフター・リベラル』(講談社現代新書)はそれらを「ウーバー化するテロリズムと呼んだ。日本での現象も、このような地平で語られる必要があると思われる。70年代よりアウトノミア運動を推進したフランコ・ベラルディ『大量殺人の“ダークヒーロー”』(作品社)にも、現状分析に関して銃乱射の犯人たちにフォーカスすることによる、同じような意識が見られる。

 

 そして、本書が提示する問題はそれらがもたらす恐怖の記述にとどまらない。上記の事件を日々受け止めていた、市民社会の意識の変化のありようが底に流れ続けている。後半、東池袋自動車暴走事故を受けて沸騰した世論が、それを端的に示す。私たちは何に苛立つのか。その背景にある精神性はなんなのか。ある極端な現象を目の当たりにしたとき、もしくはある異質な存在を目にしたとき、それを排除しようとする感覚は、拡大し続けているのではないか。つまり、本書の切っ先は私たちにも向けられている。

 

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【書評】アニメを見て、戦争を自問する ―藤津亮太『アニメと戦争』―

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 前回山之内靖、ヴィクター・コシュマン、成田龍一・編『総力戦と現代化』を通して、戦中と戦後体制は連続しているという歴史的アプローチについて書いたが、念のため付け加えておきたいのは、これはあくまでもシステム論的な見方であって、実際にそこに生きるひとびとの間では、戦中/戦後というのはひとつの断絶として認識されているという事実だ。かつ、断絶の解釈そのものについても、グラデーションがあるゆえに、ひとことでまとめるのは難しい。深く思考するためには、時代を生きたひとびとの表現に迫るのがよいだろう。そこで最近刊行された藤津亮太『アニメと戦争』(日本評論社)はとても参考になった。帯文では富野由悠季が「そろそろ自問しよう。アニメから……!」と熱いメッセージを記している。

 

 インターネットで本書の存在を知ったとき、装画に藤田嗣治戦争画アッツ島玉砕」が使われていると僕は認識し、このテーマでこの絵画を使うのは興味深いと思いポチったのだが、届いた本の書影を見返したら、「アッツ島玉砕」ではなく、それをパロディックに再現した会田誠による「ザク(戦争画RETURNS 番外編)」という作品で、より面白いと思った。このセレクトに、本書の性格がよく現れている。

 

 全体を通して、『総力戦と現代化』の編者でもある成田龍一が提示した、日中戦争アジア・太平洋戦争の「語られ方」についての時代区分を参照している。かつてあった戦争が、「どのように語られてきたのか」という点に着目して、歴史を描き直すという試みだ。それはどのようなものか。まとめると、

①1931〜1945→「状況」の時代:現実に戦争が起こっていた時代

②1945〜1965→「体験」の時代:戦争体験を持った世代が語り合う時代、

③1965〜1990→「証言」の時代:体験者が体験していない相手に「語りかける」時代

④1990〜現在→「記憶」の時代:体験していない世代が大多数のなかで、さまざまな戦争についての語りが統合されている時代

という、4区分だ。本書はまず、この時代を通して作られた「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズにこの区分を導入することで、アニメと戦争記憶の関係性を探っている。

 

 一目見て、戦後すぐは残っていた戦争の記憶が徐々に風化して、いまでは誰もリアルなイメージを持てなくなっているという構図が浮かぶかもしれない。その通りなのだけど、そのような解釈に収まりきらない葛藤が、アニメ製作者側にはつねにあったことも分かってくる。日本のアニメの発展は、東西冷戦期とちょうど重なっている。しかし、冷戦を直接的に描いた作品は意外と少ない。80年代、核戦争のモチーフに見られるくらいである。むしろ、先の大日本帝国による戦争をどう解釈するかといった問題のほうが、彼らにとって喫緊の課題だったのかもしれない。反戦でいくか、戦争の美学を強調することで「リアルさ」を追求するか。「宇宙戦艦ヤマト」における西崎義展と松本零士の対立などにも現れている。

 

 とりわけ興味深いのは、そんな冷戦が終わったあとの動きだ。「紅の豚」はファシズム下での厭戦気分を描くことで戦争に抗おうとしたが、監督の宮崎駿は製作中、舞台であるアドリア海に面したユーゴスラビアで新たな民族紛争が発生したことを意識せざるを得なかったと述懐している。また、「機動警察パトレイバー2 the movie」はPKOなど当時の日本が抱えていた課題を導入したり、湾岸戦争以降の、メディアを介した戦争の虚構性を提示している。先の区分で言うところの「記憶」の時代にも、アニメの製作者側によるさまざまな奮闘があったことが見えてくる。

 

 その後はどうだろうか。21世紀に入ると、「ガールズ&パンツァー」など、自衛隊が協力するような現象も見られるようになる。このまま官民一体化が進むのかもしれないし、そうでもないかもしれない。しかしいずれにしろ放置されているテーマとして、日本の戦争責任という問題がある。例えば中国大陸を舞台にした日本の作品は、いまもってほとんどないのだ。そこにアニメやサブカルチャーがどう応答するか。むしろ、それを成し遂げられるのは、日本の近隣諸国のクリエイターなのかもしれない。そんなことも示唆されている。ひとつ、初めて知って驚いたのは、高畑勲が『火垂るの墓』の次に、1939年のソウルから満州を舞台とした冒険活劇を考えていたというエピソードだ。天安門事件などの影響で流れてしまったとのことだが、もしそれが公開されていたら、その後、90年代の子どもたち、つまりいまこの文章を書いている自分の世代などが持った戦争の「記憶」は、どんなものになっただろうか、と考えてしまう。

 

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