【書評】70数年の時空間を漂い続ける ―山本昭宏『戦後民主主義』―

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 戦後民主主義とは、日本独特の概念といえる。「戦後」は太平洋戦争後を指しているし、「民主主義」という言葉には、先の戦争の反省のうえで、かつ米国の占領下に展開された日本の体制、日本国憲法そのものでもある。以上の二点を抜けば定義は曖昧で、それゆえにさまざまな人が言及し、定義を試み、礼讃されたり、ときとして否定された。いまでは否定的に見られる傾向が強まっているのは、少しインターネットで検索をかけてみればすぐ分かる。しかし、それでも存在し続けている。70年強の長い時空間を漂い、無数のひとびとが(肯定するにしろ否定するにしろ)追い求めていた何か、といったところだろうか。自分も数年前に荒んだ政治状況に対して「戦後民主主義リバイバル」などとぶち上げたこともあったのだけど、リバイバルされる当の対象についていまいちど考えるための、格好の通史が本書だ。

 

 副題にある通り「現代日本を創った」といってよいだろう。その時代を生きた政治家、知識人、アーティスト、市井のひとびとに至るまで、どこかで戦後民主主義たる何かに触れていて、影響を受けているのは間違いない。個人的にパッと思いつくのは、手塚治虫のマンガで、戦争が終わるやいなや飛び上がって喜ぶ手塚自身の姿だ。とはいえ、実際はそんなすぐにみんなが飛び上がっていたわけでもなかった。手塚治虫も含め、映画や小説、その他さまざまな表現によって、徐々に「そういうイメージ」が作られ、その先に「戦後民主主義」が形成されていったのだ。ちょっとややこしいけど、要するに、あとから描き加えられていった要素も大きいのだ。また、それまでの抑圧からの解放・自由といった観念と民主主義という思想は結びついていたし、言い換えると、感情の反映でもあった。映画を例に挙げると、1946年に初のキスシーンが導入されたり(『彼と彼女は行く』1946年4月封切)、その後反戦映画が製作されたりする。

 

 いっぽうで、戦後民主主義自体に疑義を投げかける動きも同時進行で起こっている。ここがポイントで、例えばちまたの右翼の人たちは「いままでの」戦後民主主義はダメだから自分たちは否定するのだという主張をするけれども、そうではなく、上記したポジティブなイメージと批判的なアプローチは並行して発生しており、そこで繰り広げられる議論的な状況自体が「現代日本」であるという見方をすることができる。もっとも早い時期に提出され有名なのは、福田恒存「平和論の進め方についての疑問」だろう。1954年の時点においてパワー・ポリティクスに基づく「現実主義」的な理解によって「平和」を相対化するという論旨は、いまだにごく矮小化されたバージョンをSNSの無数のアカウントから拾うことができる。「現実が見えてない、お花畑だ」などなど。

 

 また、単に左右対立で済んでしまう問題でもないのが複雑だ。60年代にもっとも過激に戦後民主主義を否定していたのは全共闘らの学生たちだったし、いわば左右両方にとって、否定的に乗り越えたくなる課題のようにして存在していたのだった。あえて曖昧な言い方をするならば、「なんか変えたい」という意思を持った人たちにとって戦後民主主義は格好の対象となっており、それに対抗するためには守勢に回らざるをえない、つまり、「護憲」にならざるを得ないという構造ができているし、時代が経つにつれて構造自体がより強化されている。90年代だったら、佐藤健志「『中年オタク』の思想を排す」という論考では、ちょうど以前も取り上げた宮崎駿紅の豚』が、戦後民主主義の象徴として批判されている。そこでは「戦後民主主義とは、大人になることを拒否した、本質的にモラトリアム的な概念なのだ」と述べられる。「現実を見ていない」幼児性の象徴として民主主義が批判される、この構図はその後も拡大し続け、現状だと戦後民主主義/現行憲法否定の側の羽振りがよいのは知っての通りだ。

 

 と、一部ピックアップしてみたけども、その他膨大な記録を次々とくり出しながら描かれる軌跡は、それ自体がひとつの物語のようにすら捉えられ、読み応えが抜群である。しかも最後に年表も入っていて、年表マニアとしても大満足。読後思ったのは、肯定にしろ否定にしろ、さきほども書いたようにひとびとの感情が反映されているという点だ。美意識といってもいいかもしれない。「平和」「民主主義」を取るか、それへのアンチを取るか。例えば、自民党憲法改正に向けていろいろ差し込んでくるのをみるにつけ、いちばん現行憲法にこだわってるのは自民党じゃないのと言いたくなる。理屈を超えた執着を感じてしまい、そこがちょっと怖い(というかウンザリする)のだけど、なにかそれを駆動させる感情や美意識があるとするならば、それに対抗するすべは何か。いまのところ守勢に回るほかないのだが、それ以外の手法はないものかと考えてしまう。つまり「ラディカルな」戦後民主主義は可能なのか。壮大な目論見かつ、喫緊の課題かもしれない。

 

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