【書評】アニメを見て、戦争を自問する ―藤津亮太『アニメと戦争』―

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 前回山之内靖、ヴィクター・コシュマン、成田龍一・編『総力戦と現代化』を通して、戦中と戦後体制は連続しているという歴史的アプローチについて書いたが、念のため付け加えておきたいのは、これはあくまでもシステム論的な見方であって、実際にそこに生きるひとびとの間では、戦中/戦後というのはひとつの断絶として認識されているという事実だ。かつ、断絶の解釈そのものについても、グラデーションがあるゆえに、ひとことでまとめるのは難しい。深く思考するためには、時代を生きたひとびとの表現に迫るのがよいだろう。そこで最近刊行された藤津亮太『アニメと戦争』(日本評論社)はとても参考になった。帯文では富野由悠季が「そろそろ自問しよう。アニメから……!」と熱いメッセージを記している。

 

 インターネットで本書の存在を知ったとき、装画に藤田嗣治戦争画アッツ島玉砕」が使われていると僕は認識し、このテーマでこの絵画を使うのは興味深いと思いポチったのだが、届いた本の書影を見返したら、「アッツ島玉砕」ではなく、それをパロディックに再現した会田誠による「ザク(戦争画RETURNS 番外編)」という作品で、より面白いと思った。このセレクトに、本書の性格がよく現れている。

 

 全体を通して、『総力戦と現代化』の編者でもある成田龍一が提示した、日中戦争アジア・太平洋戦争の「語られ方」についての時代区分を参照している。かつてあった戦争が、「どのように語られてきたのか」という点に着目して、歴史を描き直すという試みだ。それはどのようなものか。まとめると、

①1931〜1945→「状況」の時代:現実に戦争が起こっていた時代

②1945〜1965→「体験」の時代:戦争体験を持った世代が語り合う時代、

③1965〜1990→「証言」の時代:体験者が体験していない相手に「語りかける」時代

④1990〜現在→「記憶」の時代:体験していない世代が大多数のなかで、さまざまな戦争についての語りが統合されている時代

という、4区分だ。本書はまず、この時代を通して作られた「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズにこの区分を導入することで、アニメと戦争記憶の関係性を探っている。

 

 一目見て、戦後すぐは残っていた戦争の記憶が徐々に風化して、いまでは誰もリアルなイメージを持てなくなっているという構図が浮かぶかもしれない。その通りなのだけど、そのような解釈に収まりきらない葛藤が、アニメ製作者側にはつねにあったことも分かってくる。日本のアニメの発展は、東西冷戦期とちょうど重なっている。しかし、冷戦を直接的に描いた作品は意外と少ない。80年代、核戦争のモチーフに見られるくらいである。むしろ、先の大日本帝国による戦争をどう解釈するかといった問題のほうが、彼らにとって喫緊の課題だったのかもしれない。反戦でいくか、戦争の美学を強調することで「リアルさ」を追求するか。「宇宙戦艦ヤマト」における西崎義展と松本零士の対立などにも現れている。

 

 とりわけ興味深いのは、そんな冷戦が終わったあとの動きだ。「紅の豚」はファシズム下での厭戦気分を描くことで戦争に抗おうとしたが、監督の宮崎駿は製作中、舞台であるアドリア海に面したユーゴスラビアで新たな民族紛争が発生したことを意識せざるを得なかったと述懐している。また、「機動警察パトレイバー2 the movie」はPKOなど当時の日本が抱えていた課題を導入したり、湾岸戦争以降の、メディアを介した戦争の虚構性を提示している。先の区分で言うところの「記憶」の時代にも、アニメの製作者側によるさまざまな奮闘があったことが見えてくる。

 

 その後はどうだろうか。21世紀に入ると、「ガールズ&パンツァー」など、自衛隊が協力するような現象も見られるようになる。このまま官民一体化が進むのかもしれないし、そうでもないかもしれない。しかしいずれにしろ放置されているテーマとして、日本の戦争責任という問題がある。例えば中国大陸を舞台にした日本の作品は、いまもってほとんどないのだ。そこにアニメやサブカルチャーがどう応答するか。むしろ、それを成し遂げられるのは、日本の近隣諸国のクリエイターなのかもしれない。そんなことも示唆されている。ひとつ、初めて知って驚いたのは、高畑勲が『火垂るの墓』の次に、1939年のソウルから満州を舞台とした冒険活劇を考えていたというエピソードだ。天安門事件などの影響で流れてしまったとのことだが、もしそれが公開されていたら、その後、90年代の子どもたち、つまりいまこの文章を書いている自分の世代などが持った戦争の「記憶」は、どんなものになっただろうか、と考えてしまう。

 

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令和に考える「総力戦」

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 先月公開された『シン・エヴァンゲリオン』を観るにあたって、アニメ素人の自分が旧作や新劇場版を観返す日々が続いていたのだが、全編にわたり「総力戦」という言葉がチラホラ出てくるのがなんとも気になった。「総力戦」というのは、軍事力だけでなく、科学・経済・思想に至るまで国の持てる力を統制・総動員して闘う、ということだ。実際、『エヴァンゲリオン』はそうやって使徒と戦う姿を、わりと具体的に描いている。電力を集める「ヤシマ作戦」などが典型だ。そんな物語が生まれて10数年後、2011年には現実の日本で「電力を調整するために節電を行う」という状況が発生してしまい、すかさずインターネットに「ヤシマ作戦」という言葉が飛び交ったのは記憶に新しい。しかしエヴァンゲリオンが電力で動いているんだというのも「それはそうか」という感じではあるが、インフラ状況を克明に描きたがるフェティシズムのような感覚が垣間見られて、僕は観ている間そういう箇所ばかりに注目していた。逆に『エヴァンゲリオン』を語るにあたり話題になっている自意識や成熟を問うといった側面などは、まあ、現代においてそのような物語になってしまうのは妥当以外の何物でもないと、わりとすんなり受け入れてしまうようなところが自分にはある。思考のクセのようなものだ。そういうところでどうにもトレンドに乗れない僕自身の自意識が首をもたげてくるんだけど……、一旦置いておこう。

 さて、ちょうど「エヴァンゲリオン」テレビ版が放映されていた1995年11月に初版が刊行された山之内靖、ヴィクター・コシュマン、成田龍一・編『総力戦と現代化』(柏書房)を読んでいて、つい先日読了した外山恒一『政治活動入門』(百万年書房)で提出された歴史観にも通じるなと考えたりしていた。

 『総力戦と現代化』の編者、山之内靖はこのあとも総力戦分析の本をたくさん残している。この言葉からまず想起されるのは戦時下の日本だろうけれども、民主主義を旗印としたアメリカも、ファシズム体制下のドイツも「総力戦」をやっていたことに変わりはない。例えば世界恐慌後におけるアメリカのニューディール政策であったり、戦後の日本における、例えば終身雇用制度でもなんでもいいのだけど、いわゆる政治における社会福祉的な側面、社会主義的な傾向というのも、ひとびとを国家のなかに包摂するという意味では総力戦にとって重要な要素であり、戦後民主主義的な体制と「戦時下」はシステム的には地続きであるという提示をしていて、これは『政治活動入門』における「第一次世界大戦から現代に至るまで戦争は続いている」(『戦後史非・入門』)といった歴史的アプローチと通じている。戦後民主主義的な体制が「総力戦」の延長と捉えるのならば、現在までそれは持続していると考えることもできるけれども、ここ1年以上covid-19禍と「戦っている」日本政府の場当たり的な様子を見ていると、中身が相当グダグダになっているのはすぐに分かる。唯一残っているのは「みんなで我慢しましょう」という精神性と、相互監視で乗り越えようといった国民にアウトソーシングするような態度であって、とにもかくにも低コストの対応しかできていないのが現代日本だ。そんな現実に対し、ボケっとした政府を後目に若き官僚が柔軟な手法で総力戦をやるぞというのが『シン・ゴジラ』で、『エヴァ』もテレビシリーズの時点で政府の無策とネルフが対置されたりしていて、そういった描写は「改革」という言葉に象徴されるような平成の政治精神の反映と考えてよいと僕は思っている。かつ、現代の日本政治がイメージとしての「戦争」というビジョンを上手く使おうとしているな、というのは、これを書いている間にちょうど小池百合子も「総力戦」という言葉を発していたけれど、サブカルチャーからの想像力が影響を及ぼしているといって差支えなさそうだ。今回も再び「ヤシマ作戦」という言葉が飛び交っているように。

年表で見る!『花束みたいな恋をした』

すでに各所で話題を呼んでいる映画『花束みたいな恋をした』。とりあえず友人たちにはもう語り尽くしてしまったし、感想を発表するかどうか迷っていたけど、ほぼ時系列で、舞台となる年がきっちりテロップで出るという、年表好きとしてはバッチリな内容ということもあり、僕も書いてみることにしました。自分で作った年表を眺めつつ、自分語りと物語を重ね合わせてみます。すでに観た人向けです!

 

2015年

正直この年はISによるテロ安保法制の件でもちきりで、僕(パンス)はほとんど文化的なものに触れておりませんでした。明大前駅で絹(有村架純)と麦(菅田将暉)が出会いリアル押井守を発見していたころ、そのほど近くに住んでいた僕は、ジュンク堂書店さんのフェアの影響などがあり丸山眞男などを読んでいたので、だいぶサブカルじゃなくなっていた時期である。絹と麦はTwitterをやっている様子が一切出てこないのですが、一応アカウントは持っているはず。誰かのリツイートで政治のニュースなども流れてきていたでしょう。サブカル方面の固有名詞はあまり分からなかったけど、ロケ地を知り過ぎていたのでそこで刺さるという得難い体験ができました。二人が歩く甲州街道沿いもよく通ってたところだったし。

 

2016年

麦はイラストを描く仕事を始めましたが、芽が出ず、単価を下げられていきます。しかしこのイラストがとても良いのでいちいち気になってしまいました。このクオリティなら、もっと良さげなところに売り込めば人気者になれたはずなのに……。麦のイラストの代わりに使われてしまう「いらすとや」がスタートしたのは2012年。絹は就職活動を始めるものの、圧迫面接に苦しみます。そんな企業に対して怒りを露わにする麦。就活を描いた朝井リョウ原作、三浦大輔監督の映画『何者』公開が10月15日。

 

2017年~

麦が物流会社に就職。そこでの労働に追われ、かつて好きだったカルチャーからはどんどん離れ、とうとうパズドラをやるように。2012年にリリースされた「パズル&ドラゴンズ」は、いわばテン年代における「娯楽の表街道」を走り抜けていたといえるでしょう。二人の関係もぎくしゃくしてきます。かつて圧迫面接に怒った麦も、「仕事」という概念を内面化し、結婚や家庭を絹に求めることで状況を打開しようともがくようになりました。すでにある制度を受け入れることが成長することなんだという確信に対し、いっぽうで絹はそういった構造に違和感を覚えているように見えます。『82年生まれ、キム・ジヨン筑摩書房、2018年12月刊行)は出てきませんが、それまでの趣味を思うと手に取っていたかもしれません。

 

まとめ

「王様のブランチ」の映画紹介ばりにあらすじを追ってしまいましたがこのへんで止めます。自分としてはごくごく単純に、労働の大変さと社会の構造自体が問題なんだ〜、企業が余裕のある労働条件さえ整えればカルチャーから離れなくても済む!という結論に。しかし、それ自体が問われることは(少なくとも物語上は)ありません。ここでポイントなのは二人ともとても「いい人」で、つねにお互いを気遣っています。残業している麦の同僚がどちらかというとチャランポランな男で、そのふるまいに苛立ってしまうというシーンがあるくらいにはマジメです。

 

「いい人」による安定した空間が外的な要因で壊されるのなら、やっぱその「外側」が問題じゃんと僕は考えます。しかし、さほどそういう受け取られ方がされているようには見えません。二人が社会にもまれて成長し、それぞれの人生を歩み始めるという流れは現在の社会ではスタンダードであるゆえに、共感を呼んでいるようです。あれ?  これは僕の読みがおかしいのか……? と思わず友人たちに相談してしまうほどでした。

 

そして気になるのは、この映画のなかで出てきたカルチャー群そのものが、物語のなかで描かれる構造には影響を与えていないという点です。あくまでも会話のなか、風景のなかのアイテムとして出てくるのみ(絹が読んでいる架空のブログは影響してるか。あと、偶然接触したAwesome City Clubのメンバーが、カルチャーの世界で活躍する人物として二人の対になる役割をはたしていますが)。社会構造の問題やそもそもの主題である恋愛と、カルチャー群は切り離され、「上モノ」としての機能となっています。「二人はカルチャーにあまり貪欲ではない」という評も多く見受けられますが、それは「そういうキャラクター」であるというより、その切り離しから生じていると見ることもできるでしょう。

 

といった映画であることを前提としたうえで、やはり僕は「カルチャーがもっと二人に影響を与えてよ~~」と考えてしまいます。なぜなら、自分自身がこの歳になっても「そういうこと」に夢中で、いまもそんなブログを書いているからにほかなりません。さらに言うと、カルチャーが、個人の成長のなかである種「乗り越えられるべきモノ」として存在しているという構造や、それが世間の常識であるという風潮に対しては疑義を呈したいです。人々による表現は、いま生きている社会に対して仕掛けられた爆弾のように存在しているほうがいいと思います。といった意見がナイーブすぎると言われてしまうであろうことは承知のうえで。

 

そして人生は長い。これから二人が、カルチャーがどうなるかは分からない。

 

というわけで、30代編も楽しみにしています。

 

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パンス年表が1968年から始まっている件

なぜ「我々はあしたのジョー」だったのか

以前、日本の歴史や文化にとても詳しい韓国の友達とお酒を飲んでいるときに、こう問われたことがあります。1970年、赤軍派メンバーがよど号をハイジャックした際、「我々は『明日のジョー』である」という声明を残しているが、「あしたのジョー」自体にはとくにポリティカルなメッセージもなく、矢吹丈は極めて個人的な心情から闘うキャラクターだ。これはとても奇妙で、なぜ成り立つのかと。すごく本質的な質問だ! と感激し、いろいろと答えたりして盛り上がりました。

 

「60年代末に盛り上がった学生運動はその後敗北し、その後は経済一辺倒のカルチャーが日本国内を覆い、政治的な関心も後退していく」というのはこの時代から現在にかけて語る際の一般的な見方で、大まかに捉えればそれで正解なんですが、より精緻に見ていけば明確な転換点があるわけではなく、数十年かけたグラデーションになっているといえます。「パンス年表(通称)」ではその流れが「擬似的に体感できる」ような内容にしたいと思って項目を入れていきました。そんなわけで、政治的行動のレベルでは極点に達したと考えられる1968年から開始しています。

 

パンス年表について「なぜスタートが1968年なのか?」と聞かれることも多いので、本稿ではその説明を行います。まず端的に書いてしまうと、「現在に直接つながっている過去」の始まりが、この頃にあると思っているからです。例えば、2021年のいま日本や世界で起こっている「問題」ってどんなものだろう?  との問いに対して、政治や社会に多少関心がある人なら、環境問題、マイノリティの問題、女性の権利、住民の権利、消費者運動など……を挙げるかと思います。それらの問題が本格的に問われるようになったのが(おおよそ)この頃です。例えば60年代中頃までは、工場用水もガンガン垂れ流しで、空気も悪い、高度経済成長期でもありとにかく経済優先。昨今では「三丁目の夕日」的に理想の時代として回顧されがちですが、実際のところ多くの庶民にとってはハードな時代でした。そして、野党勢力労働組合もさほどそういった問題には関心がないという状況でした(もちろん、皆無だったわけではありません! 念のため)。しかし、68年頃からは徐々に法整備されていきます。

 

社会への問いが、それまでは強大な権力への抗議や経済格差の打開、すなわち階級闘争だったのが、より個人の生きやすさ、豊かさ、価値を求める方向に変わったのがこの時代です。そして、それは主に西側先進国を中心とした全世界的な動きでした。歴史学者ウォーラーステインはそれを「世界革命」であり、決定的な歴史の転換点であったと評しています。革命といっても政治体制が変わるタイプの転換ではなかったというのもポイントです。日本でも、学生運動は盛り上がりまくっていましたが、結局自民党政権自体はびくともしませんでした。では、何を変えた(変えようとしていた)のか。システム自体です。そのシステムとは何か。第二次世界大戦後に西側世界で形成された、リベラル・イデオロギー、そして見かけのリベラルさに隠された保守性や企業社会であるといえます。

 

システムへの反抗 、個人と価値の拡大

ここでちょっと回り道をして、1969年に第1作が公開された「男はつらいよ」について書きます。下町の団子屋で育てられたさくらは東京の企業で働いており、その会社内でのお見合いをしたりします。そこに寅さんがなかば「乱入」し、空気が読めない発言を繰り返して顰蹙を買うというシーンがあります。本作が公開された時代において、「東京の企業」は戦後〜高度経済成長期に形成されたシステムであり、下町の団子屋的な存在はその後徐々に後退していきます。さくらのお見合いシーンではその二者が「階級」の差として描かれますが、その階級構造が当時の日本の社会そのものでした。しかしここで登場し、構造のなかで浮いてしまう寅さんは第3項的。社会の外で漂泊する「フーテン」です。

 

ちょっとややこしいのですが、1968年当時に社会変革を目指した若者の間では寅さんは別に支持されていません。むしろ寅さんはシステムから弾き出された過去の象徴として、ノスタルジーを求める大人に受け止められました。しかし、当時のユース・カルチャーのなかにも「フーテン」という層は存在しました。「人呼んでフーテン」といった具合に自己規定するさまには共通する部分があります。また、似たような志向として、学生運動の担い手のなかでは、やくざ映画を観るのが流行っていました。そこには、社会の外部にいるアウトローに、自由を求める自分を重ね合わせる心情があったといえます。このように考えると、ひたすら「個人的に戦い続ける」「あしたのジョー」における矢吹丈も、心情のレベルで移入できる存在だったと分かってきます。

 

ここで一旦まとめると、1968年前後というのは、個人がより自由になろうとする、個人的な価値を求める生き方や運動が提起された時代だったということになります。そしてそれは当初政治運動という形で発生しましたが、日本においては徐々に政治方面へのアプローチが後退し、「価値」や「自由」の部分が拡大するようになります。これが「パンス年表(通称)」で示したかった「サブカルチャーの歴史」そのものです。

 

はっぴいえんどの政治性

さて、先日「美学校」で開催されていた講座「ゼロから聴きたいシティポップ」はとても面白い内容でした。「シティポップ」の系譜を、その時代の社会の変遷から再解釈していくスタンスはとても有意義で、自分にとっても刺激になりました。とくに、その始祖といえるバンド、はっぴいえんどを「風景論」の観点から再度考えてみるという試みは新鮮で、見終えてから僕もいろいろと思考をめぐらせました。「風景論」はそのなかでもいろいろと議論があって一口に定義するのは難しくもあるのですが、当初提起した松田政男の論に従うならば、権力というものが「風景」のなかに偏在し、それを撃つ、という思考と実践は、具体的な権力を名指し闘うのではなく、その背景にあるシステムを露出させるという試みであり、これもまた1968年前後における闘争の一形態です。そこにはっぴいえんどが共振していたという仮定にはとても興味を惹かれます。

 

また、本講座を受けて『風街ろまん』のジャケ/内ジャケが、漫画家の宮谷一彦が描く「風景」だったという指摘もあり、膝を打ちました。宮谷自身が極めて観念的な政治志向をマンガに落とし込む作家でもありましたが、その観念はどのようにできているのかというと、じつは本人が1969年には昭和維新連盟という右翼の大物・西山幸輝の娘と結婚しており、以降は右翼思想もなだれこみつつ、大江健三郎大藪春彦、ジャズやロックの要素も入っていてアマルガム的です。このゴチャゴチャ感というのは、はっぴいえんどメンバーの嗜好性のようでもあり(1st『ゆでめん』のブックレット)、一見作風は正反対のようでじつは近いかも、と気付かされました。

 

最後に、年表のおすすめに戻りますと……、記事のはじめに「明確な転換点があるわけでもなく」と書いたのは、上記したはっぴいえんどの件など、細部から重要な要素を掘り起こせる可能性はまだまだ残っており、特定の転換点に依拠するような「史観」にまとめてしまうとそれらが見落とされてしまうおそれがあるからです。パンス年表(通称)はやたらとさまざまなジャンルの細かいデータがひたすら載っていますが、それは細かいデータが単に好きというのもありつつ、マクロに考えるにあたっても、関係なさそうなデータの連なりが新たな可能性の発見につながるのでは、というねらいがあるからです。そんなわけでパンス年表(通称)をぜひよろしくお願いいたします。

 

 

革命について

NHK「100分de名著」が、マルクス資本論』などをテーマにしていて、僕の観測範囲だとわりと評判になっている。実際見てみたら面白かった。なんというか、自分たちが生きている世界を根底から問うような内容なのが良いと思う。根底から問い、ひっくり返す可能性も示唆する。この「ひっくり返す」というのが重要で、いまは多くの人が「ひっくり返らない」と思っている時代だから、やる意味がある。

 

「革命」という言葉があるけれども、基本的にそれを夢想的なもの、子どもっぽいものとして捉えるような意見を目にすると、いやいや……そういうことでもないでしょ、となる。夢みたいなことを言ってないで、大人になろう、現実を見よう、というのは簡単だし、それなりに説得力がある。とくにここ日本だと、歴史上「革命」とよばれる出来事を経験していない、と思われがちので、妥当だという感覚があるかもしれない。しかし、日本の近現代史をひもとけば、革命への条件がわりと揃って「ととのいました」寸前になったことなら何度かある。取り急ぎ、二・一ゼネストを挙げておくけれども、それも汲んだうえで不可能だと言うならまあ仕方ない。でも僕はそう思ってはいない。

 

人が生きづらいと感じるときに、それは自分が悪いから、周りに合わせられないからだと結論づけるのは、この現代において当たり前になっているけれど、周り、ひいてはこの世界を構成しているシステム自体の方が問題なんだよと考えてみることは何も悪いことではなく、むしろそう判断したほうが世界の仕組みが見えやすくなると思う。しかし、そのときに何を選択するかというのはわりと難しくて、うっかり奇妙な思想にハマってしまう落とし穴も多い。しかしそういう穴というのは簡単な仕掛けになっていて、誰かが悪いとか悪の組織がいるとかそういった、特定の誰かや人々に悪を押し付けるようなものだったりするので、そこを避ければよい。そんなわけでマルクスを読んだりするのはよい。結局資本主義とは何なのかと考えるのがベスト、というか、それが最もスリリングで楽しいことが、NHKの番組とかで分かったらそれはよいことだと思っている。

 

さて、「革命」については、パンス年表(という通称で呼ばせて下さい)がなぜ1968年から始まっているのかという話をしたい。これはまた次の機会とします。

『年表・サブカルチャーと社会の50年 1968-2020〈完全版〉』発売しました。

『年表・サブカルチャーと社会の50年 1968-2020〈完全版〉』発売しました。

 

去年刊行したTVOD『ポスト・サブカル焼け跡派』。その巻末につけた年表を大幅に増補した内容です。1968年1月から2020年12月の間に、おもに日本で起こった出来事をひたすら記載しています。政治、経済、事件、流行、風俗、犯罪、思想、社会運動、雑誌、文学、音楽、漫画、アニメ、美術、映画、テレビ、インターネットなどなど。それらに対する自分の意見などは一切入れていません。とにかくデータのみです。B1サイズのポスターが4枚です。先日実物が届きましたが、予想以上にデカいです。普段B1の紙を見る機会というのはなかなかありません。よく大きめのポスターとしてイメージされるのがB2だと思われますが、その2倍。4枚広げて合わせるとちょっとした看板くらいになります。発色がきれいなので、壁に貼ると部屋がよりオシャレになるアイテムでもあります。

 

年表が好きになったきっかけ

こんなブツを作ろうと思ったのは、ひとえに作っている自分自身が年表好きだからです。そのルーツを辿ると『こち亀』にたどり着きます。何が言いたいかというと……、『こち亀』というのは秋本治のマンガですが、そこでよくフィーチャーされるのが東京の「下町」です。小学校の頃、なんとなく僕はそんな古き東京の街並に憧れがあったので、両親に「江戸東京博物館」に連れて行ってもらいました。そこのミュージアムショップで購入したのが『江戸東京年表』(小学館)で、いまも手元にあります。これを僕は読み込みすぎて、カバーも取れてどっかに行ってしまいました。

ちなみに去年『散歩の達人』で取材頂いた際にも、この本を紹介しています。

『江戸東京年表』のなにがよいかというと、いわゆる日本史に残るような有名な出来事のみならず、当時の人々が何をしていたか、じつに細かい話題が、日単位で載っているところです。カッコよく言うならば、江戸のストリートが浮かび上がってくるような年表なのです。例えば、文化14年5月10日(旧暦。1817年頃)の両国では「大食い大会」が行われていて、蕎麦を63杯食べた人の記録などが残っています。また、朝顔が展示されてみんなで見に行くのが流行ったりしてます。いまで例えるならプロジェクション・マッピングを見るような感覚でしょうか。こんな内容が、刊行された1993年までズラッと並んでいます。

この本をきっかけに、年表を見るのが好きになりました。ほかにもさまざまな年表を買っては眺めるのはもちろん、自分でも、印象に残った出来事などをポツポツとメモるのが趣味のひとつに。今回発売された年表は、その集大成でもあります。

 

歴史のなかに遊ぶ

『年表・サブカルチャーと社会の50年』は、日本で起こったさまざまな出来事と一緒に、その頃リリースされた音盤や本などの情報も入っています。そこで意識していたのが『江戸東京年表』です。「大食い大会」が江戸の庶民たちに与えたインパクトと同じように、現代を生きる私たちのなかにも、それぞれ心に残っている本やCDなどがあるはずで、それらと当時の事件などを重ね合わせると、単に頭のなかに入っていた出来事が、より立体的に感じられるのではないか、というねらいがあります。まずは自分の生きていた時代を思い出して「なつかしい〜」という気分になれる。それに加えて、発見もあるはずです。日頃世の中に関して考えていたことのルーツを思わぬ年代に見出すことができたり、現代が「こうなっている」のは過去のこんな出来事の影響があるのか、と腑に落ちたりするかもしれません。

 

現代は、SNSに象徴されているように、膨大な情報が眼前に流れてきては消費され、ほぼ忘れ去られてしまうことの繰り返しです。そんな「タイムライン」を全部覚えて言及できる人なんていないので、忘れてしまうのも仕方ないです。しかし浴びまくっているうちに疲れが蓄積されて、気づけば毎日モヤモヤしているというパターンにも陥りがちです。かくいう自分もそういうところがあるので、それらへの打開策として年表を作っているようなフシもあります。一見、全く現在と関係なさそうな過去の「タイムライン」を見ることで、現在の出来事と比較したり、現在へのヒントを見出すことができます。この「おうち生活」で移動もままならないなか、生活をより有効活用するために、過去に「移動してみる」というのもよいと思います。

 

さて、いろいろと書きましたが、じつは『江戸東京年表』の前書きに、自分が言いたいことが的確に集約されてもいるので、そちらを引用したいと思います。

 

「年表を読む楽しさを身につけることは、時代の闇に閉ざされた世界に気づかせ、歴史に遊ぶ心を豊かにし、鋭い時代感覚を研ぎ澄ませてくれます。こうした感覚こそは、時代に流されがちな日々をして、歴史を場とした自己のあり方を検証するうえで欠かせません。読者は、遊び心をもって年表を見るとき、歴史の小径を逍遥することが可能となり、一歴史家として、ひとつの時代像をつかむことができます。」

 

この「歴史に遊ぶ」というのが重要だと考えています。まずは年表によって気軽なテンションで入り、より奥へ分け入りながら(深く調べながら)シリアスに分析していく。今後の自分の課題でもあります。

緊急事態宣言の前に

首相が会見をして、緊急事態宣言の発出を検討すると言っていたが、それにしてもグダグダが度を越している。この身動きのとれなさ、新陳代謝の悪さこそが日本の悪癖であって、そこを総合的に分析した現代日本論が必要ではなかろうか。根拠なく希望に満ち溢れていたり、逆に「このままでは危ないぞ」といった具合に悲観的なだけの主張は多いけど……。つまり、『失敗の本質ーー日本軍の組織論的研究』の現代版のような論考が読みたいのだ。この未来が見えない感じはやはり落ち着かない。

 

昼に全品20%OFFをやっているブックオフへ。関川夏央谷口ジロー『「坊っちゃん」の時代』が全巻揃っていたので、もう読んだことあるけど、思い切ってまとめ買い。大好きなマンガだ。文学者、侠客、会社員、軍人、政治家、社会主義者ーー明治を生きた人間たちが自分の隣にいるように思えてくる。森鴎外言うところの「普請中」、必死に成長する途中の日本が描かれているが、それから100年後の日本がこうやってところどころ機能不全になっている事実に照らして読むとどうにも味わい深い。というか本書は、19世紀の末から100年後ーーバブルの日本のなかで、享楽の時代を見据えながら制作されたものだ。その頃から30年後こうなるともなかなか予想つかなかっただろう。未来って本当に分からない。

 

スパイク・リー監督『ザ・ファイブ・ブラッズ』。米国における黒人の歴史、ベトナム戦争の経験、それぞれの過酷な、トラウマも含めた記憶と歴史認識が激しく衝突し、そのたびに、その場にいる皆の、やりきれないような顔が映し出される。